2016-10-17

性的感情を持つという罪悪

最近のP.C.の流行でなのか「異性ないし同性を性的な目で見る」ということに嫌悪を示す言説をみかける。

しかし、これはあまりに極端なところまで来ているのではないか心配に感じている。

もちろん、

自分他人性的に見られる事を嫌悪する権利はある。

それを表明する権利もあるし、その表明は尊重されるべきだ。

しかし、

まず、性的感情を持つことそのものが罪悪という前提はない。

本来性欲は醜いものですらない。

性的感情は、暴力でない限りは罪悪ではない。

暴力であると認められた時にのみ罪悪なのだ

感情に留まる限りはどこまでも自由なはずだ。

(視姦が暴力かについては判例に従う)

次に、コミュニケーションをとる前に察するのは困難である

お互い性的魅力を感じあっていればセックスすれば良いし、一方がそう思っていなければ拒否すれば良いだけの話ではないかコミュニケーションをする前に前提としてNGにしたら、つがいになれるのはどちらかがエスパーであった時に限定されてしまうではないか

国外文化では性的魅力を感じとられる事を誇りとしている節すらあるなかで(私は「セクシー」とは褒め言葉である認識している)、近頃の性周りの言説はあまりに極端ではないか

  • 雰囲気イケメンまでなら性的目線は全然許されるけど、俺みたいなキモメンは許されないんだなぁという社会の空気までは把握してる来世に期待

    • そんな罪悪感を感じる必要は本来はない、というのが私の主張。 そこに文化的な不備(つがい探しが活性化しない)があるように思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん