最初の記憶は4才の時で、父親と母親が喧嘩をしているのを止めに入る瞬間だ。それ以前のことは何も覚えていない。
父親が母親の頭を殴りつけようと拳を振り上げるのが見えて、懸命に走って間に割り込んだ。
立ちはだかる自分に父親は一瞬驚いた顔をして、そのまま4才の自分の頭を片手で鷲掴みにし、フローリングの床にたたきつけた。
額からどくどくと流れる自分の血と、母の悲鳴が強烈に記憶に残っている。
幼い妹に父母の喧嘩を見せたくなくてそれからも何度となく止めに入ったり代わりに殴られたりした。
高校生になった自分に母親が掛けた言葉は「あんたたちさえいなけれ離婚出来ていたけどね」
その日からどうしても、あの日自分を殴った父親よりも、額を縫う怪我をして庇ったはずの母親が最終的に自分をなじったことが許せなくなってしまった。
こちらの献身に対してリターンが無いことに、忘れてしまったことに、こちらが覚えていることを知らないことに、どうしようもなく絶望した。
大人になってからは信頼出来る人なのかどうか、試すための人間関係構築をしてしまってきた。お金や、時間をその人のために使う。それに見合う感謝や、向こうからの見返りが帰ってこなければ、必要最低限以上のやりとりしかしない相手と勝手に自分の中でフォルダに振り分けた。
30になった。
この人は私を裏切らないであろう、というフォルダに現時点で振り分けられている人は一人しかいない。この人がいなくなったら、そしてこの人がやっぱり母と同じような人だったら、もう生きている意味がないように思う。
生まれ変わったら人を試さずに生きてゆける人になりたい。