「かわいそう」は公に批判する力を削ぐ。
ベッキーや育休議員は「かわいそう」要素が皆無だった。ベッキーは美人タレント、育休議員は国会議員。叩いても全く「かわいそう」じゃない。
今回はどうか。マスコミは言わずもがな乙武のフェイスブックのコメントには賞賛の嵐。これが「かわいそう」の力のようである。
乙武は「かわいそう」を使って人を操るのが非常に上手い。イタリアンレストランの件では同伴の女性が泣いたなどと乙武側の「かわいそう」を稼ぎ、店側のそれを徹底的に排除した内容をツイッターにあげた。今回はすぐに謝った自分と一緒に謝った奥さんという道具で「かわいそう」を稼いだ。
こうして意図的に「かわいそう」を集めるところが嫌いだ。行為によって批判されても常に弱者になってやり過ごそうとするそのゲスな根性、社会的に良くないとされる行為が自身の属性によって相殺されるという幼稚な考えが見える。
彼が出馬してましてや当選なんかしたら日本で生きるモチベーションがまたワンランク下がる。現時点で自らの人格で勝負できてないんだからハリボテ議員になって終わりでしょ。