先日会社の受付にエホバの証人の伝道者がやってきた。当然お引取り願ったわけである。課長から、弊社は全員まとめて学会員なので結構です、と言うようにアドバイスを受けたがそれがなくともお断りしていたのは間違いない。というのもエホバはきっと姉を殺していたからである。姉の病気が発覚したのは去年の1月で、私がそれを知ったのはその1ヵ月後だった。病院へ来て一緒に説明を受けて欲しいと、突然私と両親に連絡があり、遠路はるばる出向いた先は信濃町である。担当医師の説明によると姉は急性転化の骨髄性白血病で、早急な移植が必要だとのことだった。両親には姉と私しか子供はいない。白血球の型が合う確率についてはABO式の遺伝の表を思い浮かべてもらうと早い。ただしAOとAAを区別するしABOは実はAAA~ZZZになっている。平たく言えば1/4にかけて血液検査を受けたわけだが、この結果は受けるずっと前から決まっていたわけである。だから私の造血幹細胞を姉に移植できたことについて運がよかったというのは少し違うんだろうと考えている。私はドナーとなるのに倫理的なためらいは無かったし、移植コーディネーターからリスクについて丁寧な説明を受けても、移植の意思は揺るがなかった。医師や家族は患者に寄り添い、患者のために最善を尽くすわけだが、移植コーディネーターは必ずしもそうではない。彼をA氏とする。A氏の私に対する説明は血液検査を受ける前から始まっている、趣旨としてはこうだ。型が一致したからといってドナーには患者に移植する義務はないということである。
肉親の思いは、そういうものだよ。宗教だから、できないなんていうのは、脳の中の順番が入れ替わってしまってる。 兄が、腎不全で、腎臓移植を待っていたが、型の合うドナーがでな...