小さい頃一緒に野球をしていた友人がプロになって活躍している。
彼と一緒にプレーできたことは僕の中で良い思い出だ。
高校で環境が変わっても互いにマウンドとバッターボックスで何度か顔を合わせた。
僕は不敵に笑い、彼もつられて口元を歪ませていた。今になって全てが青春だったと思う。
彼は大学に入ってめきめきと才能を伸ばした。
僕は親の希望で野球をやっていたので、野球を離れる際にそれほどの後悔はなかった。
次にダンスをやろうか、ボクシングをやろうか、物書きになろうか、といろいろ考えた。
常に夢を持って生きていたいと考えていた。今でもそう考えている。
大学を卒業する頃、彼がプロになるというので激励会に顔をだした。
大学でよほど鍛え上げたのだろう、別人のように彼は身体を大きくしていた。
事実、大学で相当ウエイトトレーニングをしたと言っていた。
一方、僕は在学中に2つほど小さな文学賞で佳作を受賞し、ボクシングでは日本ランカーになったが、それらだけで食べていけるほどの実力はなく、小さな会社に就職した。
上司や同僚に彼とのことを話すと、「サインをもらってきてほしい」とか「連絡してちょくちょく会えば良いのに」とか言われる。
僕は彼にはもう会いたくない。
それを会社の人間に伝えると、「なんで」とわけがわからないという顔をされる。
「すっごい良い自慢になるじゃん」とか「誇りに思うだろ」とか言われるが、なぜわからないのか。
何物にもなれず、未だになりたいと足掻いている人間の劣等感を。
僕は彼と対等になりたい。
再び彼と会った時、「僕はあれから色々あって今じゃこんなことをしてるんだ!」って自慢ができるほどの何物かでありたい。
向こうは僕がどういう生活をしていようが気にしないってことも知ってる。わかってるさ。
これは僕の問題であって、ただの捻くれ曲がったプライドだって。
思えば死んだ父も同じ劣等感を抱えていた。
高校時代バッテリーを組んでいた友人が、プロに行ったという話をさも誇らしげに語ったが、僕が無邪気に「会いたい」とか「サインをもらってほしい」とか言うと父はひどく寂しそうな顔をした。
ああ、自分が誇りに思える何かになりたい。