2014-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20140824074218

すまん。ちょっと調べてみたが、共感理解は似てるけど別物らしいな。ちょっとごっちゃにしてた。

上のはただの共感だった。

元増田の言いたいのはおそらく共感理解という理解だろう。


カウンセリングにおける重要コミュニケーション要素の1つで、「その人そのもの」を理解すること、とされる。 つまり、相手を評価するのでなく、傾聴などを通して、相手とその世界理解し、「相手とともにいる」状態を築くことをいう。 スキル的に捉えると、 ・まず相手の言ってることに注意深く耳を傾け、相手の感情やその感情を持つに至った背景を理解する。 ・そのことを相手に伝え、正しく理解しているかどうかを確認する。 という手順を踏みながら、相手への理解を深めていく。

http://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F%EF%BC%88%E5%85%B1%E6%84%9F%E7%9A%84%E7%90%86%E8%A7%A3%EF%BC%89


あと分かりやすい具体例もあった。

理解できる(理解を得る)

共感できる(共感を得る)

上記の二つの言葉は単純に使われ方だけ見ると似ているけど、実は全然違う。例えばこういう話だったらどうだろう。

Aさんは知人のBさんを夕食に招いた。AさんはBさんと一緒に夕食を楽しもうと思ったが、Bさんはメインディッシュを見て「宗教的問題でこれは食べられない」と言った。Aさんは驚きながらメインディッシュを抜きにして、Bさんと食事をとった。

さて、この場合AさんはBさんに「共感」できただろうか?多分、できてない。文化宗教などの根本的な価値観が違う場合、「共感」するのは非常に難しい。*2逆にBさんと同じ宗派の人には、Bさんの行動は当然共感できるだろう。価値観が同じだから

ではAさんはBさんを理解してないかといえば、そうではないはず。「宗教的問題ならしょうがない」とちゃんと理解して、Bさんに無理にメインディッシュを勧めたりはしていない。つまり共感」はしていないが、「理解」はしているのである。ただAさんがBさんと同じ宗教にでも入らない限り、「理解」は得られても「共感」は得られない。理解共感に繋がっているわけではないということだ。

http://webkit.seesaa.net/article/129745855.html


まあ、ようするに何か理由をつけて相手の気持ちを推定できるのが理解ってことか。

ちなみに周りに、理由だけつけてこっちの気持ちを何も汲まないのに理解した気になる人がいるんで、理由を付けるのはただの理屈だと思ってた。

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