人というものは、自分に理解できないものに対して型に当てはめようとしがちある。そうすることによって理解できないものを理解したような気分になるからである。
今回の佐世保の女生徒の殺人の動機、「殺してみたかった」という理由を聞いて、こいつはサイコパスなんだ、生まれつき我々とは違いおかしいのだ、と言ってしまうのは簡単である。
しかし、本当に彼女はサイコパスなのだろうか。私は、彼女は少し幼いだけの普通の人間ではないかと思う。
おそらく佐世保市では、命の大切さを教える授業は山ほどやるのだろう。
想像してみて欲しい。
「人は空を飛べない」
と言われた時、
「なんで空を飛べないの?空を飛びたい」
と考える子供がいるように、
こう何度も教えられた時に、好奇心の強い(この表現があっているかはわからない)子供が、
「生き物を殺したらどうなるんだろう」
「いじめたらどうなるんだろう」
「殺してみたい」
と考えるのはおかしいだろうか。少なくとも私はそうは思わない。
実際のところ、そう考えても本当に行動に移す子供はほとんどいない。そのへんの他の子との違いは偉い先生方が分析してくれるだろう。
うまく自分の言いたいことを書けたかはわからないが、つまるところ私が言いたいのは、
彼女は我々と同じような普通の人間で、ただ運悪く周りの人間に恵まれなかっただけではなかろうか。 そうだねそうだね、周りの人間が悪かったよね。 父親が悪いよね、学校が悪いよ...
いやマジで人間なんて、ほぼ環境だけで決まるもんな
まあ、サイコパスって言葉も一人歩きしてる感あるよね。
サイコパスだって普通の人間だよ。
運悪く周りの人間に恵まれなかった場合と 運悪く生まれつき何かが欠如していた場合で 同じ人間でたまたま運が悪かったという点は共通しているのに、区別する意味はあるだろうか 前...
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もし周囲の環境によっては未然に防げたのだとしたら、何ができたのか、何をすべきだったのかを考えないといけなくなってくる。それは自分が行動を変えなければいけないような気が...
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