世の中には様々な物語が有る。出版されたフィクションや、ニュースが作る世論、酒の席での武勇伝。種類は様々だ。
その中でも「俺は昔ヤンチャだった」という物語は人気がある。
最近はその人気も下火なのかもしれないが、少なくとも昔は大いに人気があったと思う。
昔はヤンチャだったという物語の中では「暴力的な馬鹿」は主人公や愉快な仲間の一人として肯定される。
男らしく、あるいは女の意地を守るために、彼ら彼女らは欲望や勢いのままに生きる。
そしてそれらは「人間味に溢れている」などと持て囃される。
物語の中で彼らは人間味がない、裏で何してるか分からない、人の目を気にしていると好き放題の言葉でけなされまくる。
子供向けの物語の中でも主人公が「暴力的な馬鹿」で有ることは少なくない。
伸び伸びとした健康的な子どもとして描かれ、ルールを守るガリ勉野郎を次々蹴散らすヒーローとして活躍する。
「暴力的な馬鹿」が活躍する物語が溢れかえった世界で僕らは育ってきた。
そして僕たちは「暴力的な馬鹿」が正しいような気の迷いを起こしそうになってきた。何度も。
もしも僕らが最初から「暴力的な馬鹿」だったらきっと何度も何度も物語の中で自分が肯定される内に自分こそが正しいと思い込んでいただろう。
そうして世界には「自分たちこそがジャスティス」と思い込んだ「暴力的な馬鹿」が溢れてしまったように思う。
社会はルールを守り、互いの気持ちを思いやれる人間の集まりでこそ構成されるべきだ。
「暴力的な馬鹿」はその真逆でしか無い。そして彼らは自分たちが正しいと思い込んでいるのだから更生する見込みはない。
僕らはこの積み上がった負債にどう立ち向かえばいいのだろうか。
深いい話であり、ドキッする話
そうじゃない。 管理と自由という対立が根本的にあって、暴力的な馬鹿というのは自由側のある極致なんでそちらからは賞賛される下地が常にある。 たまたま暴力的な馬鹿を賞賛する物...
元記事は、そいつらがただ賞賛されているだけじゃなくて、物語によって補強されている分、他の属性よりもタチが悪い、と言っているんだろ。よく読めよ。
増田に期待し過ぎじゃね? ここみんなでブレストしようよ、みたいな意識高いサークルなの? 意識高いヤツは2chでやれよ http://anond.hatelabo.jp/20140404205102
真面目なガリ勉君の物語がなぜ少ないかというと面白くないからで、そういことが俺が書いた対立てことなんだよ。
じゃあそういうのは規制した方がいいね
暴力的な馬鹿は物語に肯定されながら育った Domino-R 「若い頃の」馬鹿ってのは、その後の一般社会での過酷な抑圧の代償として許されてるの。反社会的な馬鹿をする事はその後の抑圧...