童貞はあくまで愛の一過程であるにすぎないという認識があります。相手がいるならすぐにでも捧げる(捨てる、ではありません)つもりです。
相手がいないだけです。
そもそも自分が相手に処女を求めるのであれば、まず自分自身に対して童貞でいるということを課さねばなりません。
童貞を捨てるということは処女厨を標榜できなくなるということなのです。
自分を差し置いて相手にだけ処女性を求めるなんて愚の骨頂でしょう。
隗より始めよ、です。
風俗なんてもってのほかです。
愛しあった結果、お互いにはじめてを捧げ合う。
お互いがお互い専用の身体なのです。
なんと美しいのでしょうか。
ここにあるのは意地でもプライドでもありません。
ただの自然の摂理です。
処女で愛し合える相手がいないから童貞であるというただの厳然たる事実に過ぎません。
だから私は童貞であることを誇りにしているわけではありません。
逆に恥ずかしいとも思っていません。
繰り返しますが適切な相手と巡りあえばすぐにでも童貞を捧げる準備はできています。
なかなか世界がそれを許してくれないというだけです。
だから非処女/非童貞の、処女/童貞に対する無責任な見下し、蔑み、煽りを見ると怒りを通り越して哀れでなりません。
自分以外の人間に心も身体も一度でも許したことがある女と結婚することを考えただけで鳥肌がたちます。
この唇が、この舌が、自分以外の人間と口づけをかわした。口淫を行った。愛を囁いた。
この陰部が、自分以外の人間の一物を受け入れ、刺激し、愛撫した。
なんとおぞましいのでしょう。
まだ見ぬ君へこの想いを贈ります。