2013-08-03

風立ちぬ」の心理学専攻の奴の感想

見終わったあとで乱雑に感想を書く。

全く的はずれかもしれないけど、酒に酔った勢いで書いてみる。


そして、この記事に関して、感想を述べてくれるなら幸いです。


素朴な人の物語だと感じました。

主人公は素朴そのもの。その辺に立っている木のような素朴さというのだろうか。

その主人公の素朴さを見るのが映画の大部分。

また、この主人公声優に全くの素人を起用したのもこの素朴さを出すためであると私は考えている。


そしてもう一人。ヒロイン

彼女も素朴だ。自分の望みに真っ直ぐな人物。

ただ、彼女についてはあまり掘り下げられていない。

主人公の素朴さをあらわすのに邪魔のない程度の掘り下げ方だったように思う。


この話は主人公のためだけの、監督のためだけの物語


話の途中途中に主人公の夢のシーンが挿入される。

これは彼の無意識。信念。彼が彼であるべき意味。それを表している場であると私は考える。


そこでは彼の憧れている人物との対話が主に行われている。

彼は、夢のなかで、自分の将来を語り、どう進むべきかの答えを出していく。


その夢の中で最後に彼はヒロイン感謝を述べる。

彼の憧れている、おそらく彼がなりたいと思っている人が「生きねば」という。

そして主人公もそう思っているはずだ。


素直に受け取れば、これは映画テーマである「生きねば」につながる。

ただ、そこは主人公の夢の中の出来事だ。

彼の無意識(信念)には、「彼女への感謝」と「生きるべきである」という思いがある。


無意識に「生きねば」と思っているのであれば、それは「生きめやも」なのではないだろうか。


私は「生きねば」はすこし力強く、頑張ろう、という印象を受ける。

「生きめやも」は生きることを受け入れている、当たり前だ、という印象を受ける。


この夢を見るまでに、彼は相当の時間を費やしているのだと思う。

一度、彼女の死に絶望し、打ちひしがれていると思う。

ただ、彼はそれを乗り越え、生きようと決心(無意識に焼き付けることを)している。

それこそ「生きめやも」であると思う。


そして、この映画エンターテイメントとして褒められるべき作品ではないと思う。

監督がやりたいことをやって終わっているように思う。

エンターテインメントなら最後はドーンでバーンヒロイン永遠に結ばれる!べきである


この点が堀辰雄の「風立ちぬ」に似ている。

悪く言えばヌルっとした、中途半端な終わり方。

良く言えば、余韻を残す終わり方。

堀辰雄の「風立ちぬ(美しい村も含めて)」もこういう終わり方をしている。


こういうのは小説的な終わり方だと思う。映画にはこんな終わり方、なかなか無い。

いまのところ私の見た映画には無い。アニメ映画なんか更に無い。

その点でこの映画はある種、革命的な終わり方をしているのではないかなと思う。


以上、まとまりがないけど「風立ちぬ」の感想です。

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