はてブのコメントのような、顔もない人たちが100を重ねた暖かい言葉のそれぞれに
向こう側から微かに息づかいが聞こえてきそうな錯覚を覚えることで取れる暖よりも、
一人の知人を誘って出かけた休日の、帰りの電車で、馬鹿話に自然と緩む知人の表情の方が
とても申し訳ないけれども。
Twitterやフェイスブックで、常に追いかけ続けなくちゃ、読み続けなくちゃと
少ないからなのかな、なんて思った。
読み終えた文字はすぐに燃えて暖かくなるのも早い分
それが小説を読み終える辛さ。
次の本をいつも読んでる。
思い出し笑いもめっきり減った。
思い出し、顔を顰めることはあっても、
中学の時に読んだ本で思い出し笑いをすることは滅多にない。
昨日、食べた食事と同じだと思う。
一週間経ったらメニューの断片も思い出せなくなる食事。
自分でも既視感を覚えたのでevernote検索したら三月に似たようなタイトルで書いてた。
寂しさに秋波を送られた
たぶん、季節が変わるごとに何かしら寂しいって呟いてます。
前回のでも思ったけど、これって何かの歌詞?なんかすごい既視感があるんだけど・・・。
多分、映画『言の葉の庭』に出てきた 柿本人麻呂の和歌を端から読んでたのが 影響してますね(笑) 彼の歌は現実に即さない雄大な光景を 読んだものが多いですから、 雰囲気に釣られ...
「文字が持つ熱量」は、消えたと思っても、ちろちろと燃えたまま、くすぶり続けているようなもんだという気もするな。 いつかボッと燃え上がって何かの燃料になるかもしれない。 そ...
ありがとう、そうですね。 自分の情景とはかけ離れた作品を読むことも多いので 今はうずね火がそれ以上広がらないのかもしれません。 書き続けたらいつか火がついていてほしいです...