進学先も適当に決めたし、就職先も地元で選んだらすぐ内定が出た。仕事について何も考えなかったのでそこに就職した。
自分の意思、というか、なりたい自分を考えて未来のために今を決定する、なんてことをしていなかった。亡羊と生きてきたように思う。今になって。はたして過去の自分は、今のような自分になりたかったのか、と聞かれれば「断じて否」だ。しかしあこがれはない。
思い返せば、かっこいい大人にあった記憶がない。仕事の話をしてくれる大人に出会わなかった。自分から触れに行くべきなのだろうけど田舎ぐらししかしらない両親は、毎日で精一杯で特に目を掛けられた記憶もない。健康に育ててくれただけで感謝しきれないのだが、それ以上について知らないまま大人になったように思う。
いまだに、冗談ではなく、将来なにになりたいのか考える毎日だ。幼稚園の頃だったかの将来の仕事を発表するときになにも思い浮かばなかった。幼稚園の近くに交番があったので、警官になりたい、と適当に書いて出した。その場しのぎの答えで本当になりたかったわけではない。そのときの自分のからっぽさにもっと真摯に向き合っていれば、未来は変わったのかもしれない。
今の若い人はいい。私が若かった頃よりよほど情報が多い。触れる経路も多い。ネットの普及で情報爆発、なんてことよりいろんな大人に触れられる、なんなら会えることが革命的なんだ。