俺にとっては見ず知らずの他人の命より恋人・家族・友人の命が大事だし、
自分の周りの人を幸せにするためなら、赤の他人が不幸になっても仕方ない、と思う。
自分の所属する会社の利益を上げるために、他社の利益を減らそうとしているし、
国が自国民の利益を外国人の利益よりも優先するのも、当然だと思っている。
「すべての人の命が同じように貴い」わけはなくて、自分に近い順に命の尊さに序列をつけてしまう。
例えばチョコレートが外国での児童労働によって作られていると知っていても、
今使っている電気がどこかの原発で作られていて、作業員が被曝する危険があったり、
自分の年老いた親にエアコンを使わせられる事のほうが重要だったりする。
どこか遠くの他人を自分や自分の家族に置き換えて想像することもできないし、
どこか遠くの他人のために何かを主張したり、誰かに投票する意味があるとは思えない。
自分や自分の周りの人のために、何かを主張したり、誰かに投票することはあるだろうけど。
じゃあこうしよう。 君から見た序列づけと同じく、他の人にも君同様に序列づけをしている。 その序列のつけ方に差はあるだろうか?そんなもの、測定できない。 なら、各人が各人...
社会や国家の内部で差別があってはならない、とは思う。 国家で言えば、同じ国民を「一等」「二等」とか序列をつけて、 扱いを分けることに正当性がない、というのはわかる。 同じ...
国民国家と普遍的人権は真っ向から対立しているんだよ
横だけど 普遍的人権の理念=国家に自国民と他国民を等しく扱う事を求める=社会給付も等しくすることを求める というものなの? もしそう考えているなら、その定義で普遍的人権を...
例えば朝鮮学校の無償化とかね。 無償化適用しないのを差別だという人がいる。