2011-05-01

普遍人権」に共感できない

俺にとっては見ず知らずの他人の命より恋人家族・友人の命が大事だし、

自分の周りの人を幸せにするためなら、赤の他人が不幸になっても仕方ない、と思う。

自分所属する会社利益を上げるために、他社の利益を減らそうとしているし、

国が自国民利益外国人利益よりも優先するのも、当然だと思っている。

「すべての人の命が同じように貴い」わけはなくて、自分に近い順に命の尊さに序列をつけてしまう。

例えばチョコレート外国での児童労働によって作られていると知っていても、

自分子どもチョコレートを食わせられる事のほうが重要で、

今使っている電気がどこかの原発で作られていて、作業員が被曝する危険があったり、

事故原発周辺が放射能汚染される危険があったとしても、

自分の年老いた親にエアコンを使わせられる事のほうが重要だったりする。

正直言って、普遍人権とか言われても共感できない。

どこか遠くの他人を自分自分家族に置き換えて想像することもできないし、

どこか遠くの他人のために何かを主張したり、誰かに投票する意味があるとは思えない。

自分自分の周りの人のために、何かを主張したり、誰かに投票することはあるだろうけど。

「将来自分たちが彼らのようにならないために」「現在の彼らの問題を解決するために」投票するんじゃなくて、

現在自分たちの問題を解決するために」投票するのだから

  • じゃあこうしよう。 君から見た序列づけと同じく、他の人にも君同様に序列づけをしている。 その序列のつけ方に差はあるだろうか?そんなもの、測定できない。 なら、各人が各人...

    • 社会や国家の内部で差別があってはならない、とは思う。 国家で言えば、同じ国民を「一等」「二等」とか序列をつけて、 扱いを分けることに正当性がない、というのはわかる。 同じ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん