英国のBBC2の番組「The Culture Show」で初音ミクが紹介されたようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=TwvAjPw-HjA
YouTubeの紹介文によると「これはおそらく日本語以外のマスメディアが初めてほぼ正確に初音ミクとVocaloidについて伝えたリポートだろう。BBCとトム・ユーグローに称賛を」とのこと(BeebってのはBBCのことらしい)。
番組で紹介されているのは「Po Pi Po」「Ievan Polkka」「StargazeR」及びWorld is Mineのコンサート動画だ。ユーグローさんの発音はいささか聞き取りにくいのだが、「初音ミクの曲は約6万7000あり、YouTubeビデオは10万[?]に達する」「Vocaloidは人間の声のシンセサイザー」「本当に面白いのは人々がアバターのコンサートを見に行くことではなく、その曲が聴衆の中にいるファンによって書かれたこと」などと言っているようだ。
流石にBBCクラスになると真っ当な紹介をしている。報道ラッシュは収まったが、これからはこうした地味だけど正確な情報が少しずつでもいいから出てくることを期待したい。
しかし好きにならないとここまで時間かけられないし時間効率悪い科目であることも事実。
新教育課程は理系重視となっているけれどもセンター次第によっちゃあ文系にとっては超軽減化にもなりそうで知識の二極化による理系による理系のための国支配が始まるのかなあとも思えます。
僕が言っているのは、単なる「リアリティ」の話じゃない。設定を細かくしろと言っている訳じゃない。先に言ったように、キャラクターバランスの説得力の話をしている。
一度あげたドラゴンボール(Z以前)を例にとる。ドラゴンボールにおいて、孫悟空は常に導き手に従い、それを克服して、次々取り替えながら成長している。ブルマ→亀仙人→カリン様→神様という具合。悟空は常にロールモデルを持ちながらそれを乗り越えることが「成長」になっている。特に亀仙人はとてもいい加減な性格をしながらも、拳法に関してはとんでもないパワーを発揮したり、非常識な修行を課すことで悟空(およびクリリン)の師匠としての役割を、長期にわたって果たしている。だから、それを悟空が克服してしまうことが、大きな成長を示すひとつの根拠になっている。
ここで悟空の立ち位置になるのが、チルドレン+皆本。で、ちょっと複雑だけど、チルドレンたちにとっては、皆本が成長するべきロールモデルを果たしている。彼女らは皆本を目標に過ごしていけば、成長することができる。ところが、肝心の皆本にロールモデルが無い。だから、彼が優等生みたいな台詞をはいても、モブの学級委員長みたいな薄っぺらさしかないのよ。
じゃあ、なんでここで「バベル」なのか。それは、彼らのアイデンティティだから。彼らはバベルに所属することで物語世界で一定の役割を果たしている。彼ら、特に皆本にとって成長していくことが可能な場所は、バベルしかない(チドルレンたちには、学校があるし、今後のパンドラとの関係もある)。もし彼がバベル以外で成長できるなら、さっさと彼をバベルから外せば良い。それすら拒否をするのであれば、皆本を最初から成長しきった老人として描くしかない。だからこそ、バベルをもっと厚みのある形で書いてくれないと、なぜ彼がバベルにいるのか(いようとするのか)、バベルでどういう成長を遂げるのかが見えないのよ。
という感じで、成長譚として描くなら、本来なら皆本に導き手が必要なはずだけど、それがないにも関わらず、完全無欠なキャラクターとして描かれている(特に精神面)のが気持ち悪いんだよ。一度スランプに陥らせるのが、物語の良いきっかけになると思うんだけどな。
ある日、少女が駅の線路に降りて寝そべっていた。駅の人々は、そのまま何もしなかった。そして彼女はホームに入ってきた電車に轢かれて死んでしまった。
学校の彼女の机から、遺書が見つかった。その遺書にはこう書いてあった。
「私は絶望しています。だから死のうと思いますが、最後に賭けをしようと思います。もし、見知らぬ人が私を救けてくれたら、私は生きようと思います」
ろくに消費者好景気を実感せず「失われた20年」の中で生き、意気消沈させるようなニュースばかりを聞いて育ち、特に根拠もなしに「学力低下」と叫ばれ、自分たちは何の悪さもしていないのに他の世代からは「ゆとり」と蔑まれ、受験競争はなくならず、そしてスーパー就職氷河期。
なるけど俺私は抑えている
だからあなたも抑えるべき
というのを、「性欲の赴くままに行動する動物」程度に成り下がっている、と理由付けているようだ。
例えるなら、
俺私は遅刻を絶対しない
それを抑えられないなら結婚がどうとかより「性欲の赴くままに行動する動物」程度に成り下がっていると自らを再認識してこれからの人生を考え直したほうがいいのでは。
そんなことより食欲と物欲の方が性質悪いんだよなぁ…
休まないと体こわすよ、って心配すると「仕事は楽しんでやってるから、遊びみたいなもんだ」とか言いながら、いざ体壊してこっちにしわよせが来ても「仕事やらなきゃ」ってへろへろのまま仕事してるって、え? なんなわけ。遊びみたいなものなら少しぐらい我慢して休むなり、こっちが大変な時に手伝うなりしてくれてもいいだろうに。
別に誰とSEXしようと構わないと個人的には思うよ
配偶者ではない好きになってしまった方や風俗の方、犯罪だが児童買春もありだとは思う
ただ、配偶者ではない好きになってしまった方とは、不倫と言われて社会的にやたら疎んじられるし、
人によっては風俗の方とも、そう見なす人もいるよね
うるさい人が多いなーと思う
リスクを背負うのが面倒だなっては思ってるからやらないだけ 既婚者だとね…
うぜえおばちゃんだなあ
なにかしたらすぐ「面倒見てあげた」っつって
そいつがちょっとでも自分の意に染まないことしたら敵視し始めるキチガイババアっていたるとこにいるよね
死ねよ
「バベル」という比較的どうでもいい設定にリアリティを与えれば、それにストーリーの足が引っ張られるっしょ。
物語に現実を反映させればさせるほど作品は画一的になっていく。
崩せるところは積極的に崩したほうがいい。
あなたに恋人がいたのか?いるのか知らないけど、
相手に心を許したことがないのではなかろうか。
ATフィールドを開放してないSEXは恥ずかしいわバカらしいわ、
時間や匂いは気になるしあまり楽しいものじゃないと思う。
よっぽどじゃなければ(不幸にもそういう人はいるが)、
異性が裸で抱き合って体温とかシャンプーとか汗の匂いの中で、
好きーとかかわいーとかきもちいいーとか言っていれば容姿は関係無いと思う
(自分は関係無いと言いつつ自分の容姿が気になるのはご愛敬)。
この人の子供産みたい。って思えるときは最終的に無防備なのかもね。
コンドームで避妊するだけだし、SEX=生殖行為って観念が強いのかな。
別に重箱の隅をつついているつもりはないんだけど、漫画における組織ってのは、やっぱりある程度説得力がないといけないと思うんだ。そうでないと、どんな感動的なオチを用意しても、詰まんないから。基本的にはリアリティよりも、キャラクターバランスを作るための背景が「組織」なんだと思う。
釣りバカよりも、個人的には山口六平太かな。ねちねち嫌味ったらしい上司がいて、現実的にあんなのはいないけど、ああいうキャラクターがいるから、六平太の活躍が光る。もし、あの上司がいなかったら、六平太は単なる出しゃばり。もちろん釣りバカだって、スーさんといういかめしい社長が裏ではへらへらした釣り道楽、それも会社ではお荷物扱いの平社員に頭が上がらないという構図だからこそ、浜崎の活躍がスーパーヒーローっぽく映る。その二人の間には、いくつもの層があって、スーさんはその頂点と言う描写もそれを支えている。実際にスーさんがいたら、一歩間違えば背任容疑で逮捕されてもおかしくないかもね。
だけど、チルドレンのバベルはなんつーか、数十年の歴史のある組織とは思えない。マネージメント組織がなくて、局長の下にすぐ現場主任。受付嬢が急に現場で業務。意味わからんよ。昨日できたベンチャーじゃねえんだ。いくらギャグ作品とはいえ、説得力なさすぎ。椎名はそういう組織を描きなれてないんだよねー。
突然だけど、いろいろ考えていたことをメモしていきたいとおもいます。
人はよく、なぜ生きるのか、死ぬのか、人を愛するのか。そういう問題にぶつかっては悩みますが、それに関する私の考えです。
といっても私はしがない18歳の高校生です、なので文章に至らない点がたくさんあります。
人類が生まれた時から、自然現象ではありえない物質がどんどん生み出され、地球は壊滅の一途を辿っていくが、それにくよくよしても仕方がないっていうのが私の持論だ。
なので、人類がやり残したことが無いようにどんどん便利な世の中を追求していけばいいと思う。
また、綺麗な自然を守りたい人がいたなら思いっきり守ればいい。
ただ、現在の自然環境を守る技術だって、技術発展ありきのものがたくさんある。それでもし私たちが生きれる時間が延びたとしたら、それに感謝することもあるだろう。
しかし人々はその生きた時代における最先端を探して、結果として後世に残されていくんだ。
そういうことを考えるうちに、法治国家ってなんなんだと考え出す。
人類の技術、技能の発展ならどんどんしていけばいいけど、社会性ってなんだろう?
考える。
考えた末に、法がある最大の理由は人間の幸福のためだと気付いた。
すべての人間を縛り付けることによって、すべての人間が自由になれることを目指す、それが法だ。
だから、本来は大量虐殺なんてあってはいけないし、強者が弱者から必要以上に搾取するのもあってはいけないこと。それをなくすために法があるんだ。
言わずもがなでしたね。
社会の教科書を読めばもっと簡潔かつ分かりやすく法律のことが書いてあるのだと思います。
そう結論にたどり着いたら、今度は人間の本当の幸せってなんだろう?という壁にぶちあたる。
それは愛なんじゃないかなって思う。
いろんなものに向ける愛だ。
それは異性であったり、家族であったり、自然や、文学かもしれない。
一般的に人には好まれないものを愛する人だって多くいるはずだ。でもマイノリティって超大事、今日の当たり前が明日のそれとは限らない。
その愛の対象も一つじゃなきゃいけないってことは無い。大きな愛を持っている人は素敵なのである。
そうして、そんな愛に満ちた世の中がなぜ出来上がったのかなって考える。
どうして人は愛が無ければダメなのだろう。
それで思い出すのがこれだ。
http://www.brain-book.com/report/cell-brain.html - 脳の神経細胞は宇宙と似ている?
別にこの記事の真偽はどうだっていい。
これで、私という一人の人間が生きやすくなったという事実が重要なのである。
自分の生きる意味とかを常にゴネゴネ考えて「死にたい」っていつも思ってた私がこれを見て、
「自分が、自分にしか無い世界を毎日つくっていけるんだ、素敵。」
と、思えた。
と気付いたのだ。もしかしたら私は、凄く楽観的でめでたい性格なのかもしれない。
同時に、自分は誰かの想像でしかなくて、とてもちっぽけな存在だと思ったら楽になれた。
失敗したって、一時つらいだけだ。
そして、大好きな人たちを想うと無数の星たちが互いに煌めくんだ。頭のなかで。
脳内でたくさんの人々が、出会い結ばれるのである。頭の中が愛で満ちているのはどれほど楽しいことだろう。
そうやってたくさんの人たちが無限につながっているのが世の中だとしたら、何てすばらしいんだろうって思ったんだ。
家から一歩外に出れば、みんなが友達だ。
こうやってインターネットが普及したことによって、簡単に自分のことを誰かに伝えることができる。
本来はつながるはずのなかった人達と、出会える。技術の発展がなければ成し得なかったことだ。
人間ってすばらしい。憎い面も愛すべき面もたくさん持ち合わせているのだ。
人は支えあうべきだし多少のわがままもゆるされる。
こういう結論です。
悲しい時は、周りに助けを求めるべき。周りもそれを欲している。
そして嬉しいことがあったら、周りの人におすそわけしてあげるべきなのだ。
「そんなの、きれいごとだ」
そう言って笑われても、全然かまわないのだ。
こうやって、素敵な世の中に住んでいる、そう考えられることが私の幸せなのだから。
だから今、だれかにおすそわけしたくなったのだ。