そういえば、私の祖母の話を思い出した。
私の祖母は創価学会が大嫌いだ。
私の母の姉(祖母から見ると、娘)は昔、大きな病気をしたらしい。
そのとき、近所の創価学会信者の人が「あなたの娘さんが病気になったのは、創価学会信者じゃないからだ。創価学会信者にならないと娘さんの病気は治らない。不幸になる」と、祖母に言ったらしい。それ以来、創価学会が大嫌いになったらしい。
元増田の母は、息子が病気という状況になったとき、どのようなきっかけがあったのかは知らないが、そういったものにすがった。私の祖母は、その弱みにつけ込まれ、宗教を勧められたにも関わらず、宗教に関わらないばかりか、その宗教そのものを嫌いになった。
もともと私の祖母が宗教だとか心霊現象だとかオカルトだとかは信じない性分だったのも大いに関係あるとは思うが、それ以外にもそういった分からないものにすがる・すがらないを決める要素はあるんだろうか。
あれ、出会いってどうすんだっけ?
30過ぎると、出会いがむずかしいなぁ おぃ?
会社が男ばっかだと、もう、アレだな。
一度出会いがなくなると、復活が難しいな。
出会いって、どうするんでしたっけ?
>出会いは事故
いやぁー、
朝 出社 昼 仕事 夜仕事 真夜中 仕事 翌日未明 帰宅 朝まで寝る。 x 1週間5セット
土 疲れ果てて寝る
日 たまった、洗濯・ゴミ捨て
つまり、出会い0っす。仕事は好きだから1日してても苦にならんので問題ねーっすが。
あまりにも、出会いが無くて、どこかへ出かけないと行けないのだが、どこへ出かけたらいいかもわかんねっす。
遊びたいこと?ねっす。
趣味?仕事っす。
いや、マジやばいっす。
「自分を磨くセックス」のためなら本命を裏切れるタイプの女
って想定がトンデモだと思うけどな。
まあ世の中広いからどっかにはいるのかもしんないけど、現実的に心配するような頻度では当たらないよ。
でも地味な女が危ないってとこは結構いいポイントついてると思った。ただそれは、自分の中の性的な要素をうまく使いこなせない、割り切れてないから、結局不器用だから(そしてその割り切れてなさが見た目に表れちゃってる)やばいんだけどね。現実的な方策としては、SATCなんて観ない、観たら嫌悪感を持つって女を疑うべきだと思うよ。
でもさ、"「自分を磨くセックス」のためなら本命を裏切れるタイプの女"って、うまいよね、コピーとして。男女ともに嫌悪感を持つ、両方のいやーな気分を煽ってひっかけるフックとして実に有効だ。これで週刊誌の下品な記事一本くらいすぐ書けそう。
SATCを観た女が影響を受けて誰彼かまわず奔放なセックスを
したくなる、とかバカなこと言ってるわけじゃないんです。
全く逆です。
SATCに共感できるかどうかが、「自分を磨くセックス」のためなら
本命を裏切れるタイプの女かどうかの試金石だって言ってるんですよ。
そもそも、ゲームと無差別殺人の関係だって同じです。
残酷なゲームをプレイした影響で無差別殺人をしたくなったんじゃなくて、
無差別殺人をするような人でゲーム好きなら、残酷なゲームを好むんです。
連続レイプ犯に好きなAVを選ばせたら、レイプものを選ぶんです。
田代に好きなAVを選ばせたら、盗撮ものを選ぶんです。
もちろん、残酷ゲーム好きな人の大半は安全無害な普通の人間です。
しかし、心の中には嗜好として残酷な要素を持っているのは確かです。
普通の人間の場合は、社会常識や良心や損得勘定などが高い障壁となって、
殺人を起こすことを阻んでいます。
それを踏み越えてしまうのは、元々押さえの利かない異常な人間だったか、
タガが外れてしまうような、何らかの外的なきっかけがあったからだと
言えるでしょう。
ゲームや映画やAVは、あくまでもその人の嗜好を探るのに役立つ試金石で
あって、事件のきっかけでは無いのです。
そして刑事罰の無い浮気の場合は、殺人よりもよっぽど障壁が低い。
何の罪悪感も持たずに浮気や不倫が出来る人も、当たり前のようにいるし、
多くの人はきっかけがあればいとも簡単にセックスに応じてしまいます。
だからこそ、そんな浮気予備軍である「SATC女」を嫁にもらった人は、
特に気をつけないといけないよ。
そう言ってるだけなんです。
標題は竹中氏が定期的に公表しているポリシーウォッチ(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080818/plc0808180311001-n1.htm)のタイトルだが、今回の議論は承服できない。
まず竹中氏は、政策の基本的な方向という点について、中国と同じく我が国も大きなリスクに直面していると述べる。経済の弱さは08年第2四半期のGDP統計にも現われているとおりである。近年のGDP統計の弱さについては、対前期比で見ても対前年同期比で見ても景気の弱さが現われているという点はその通りだろう。
続けて、竹中氏は1990年当時の日本経済は、政策の大きな方向を誤ったがゆえに「失われた10年」を経験したと述べる。氏曰く、「当時は二つの誤った政策、つまり一つは好況投資など政府による財政支出を拡大するという偏ったマクロ政策であり、もう一つは97年の消費税引き上げをきっかけに財政再建に走ったこと」とのことである。そして、現在は「日本経済運営の大きな誤りをもたらした「ばらまき派」と「増税派」が要職を占めていることが政策の基本的方向を誤るというリスクをもたらしている」とのことである。このような言葉を耳にすると、小泉政権時にも歳出削減を柱とした財政再建策が構造改革の一環として採用されていたが、この点はどのように考えればよいのかという疑問が浮かぶ。
さて、竹中氏の論説の中で、最もいただけない箇所は次の記述である。
危惧(きぐ)される具体的事例が、目の前で起こりつつある。原油価格高騰などに対する救済措置だ。原油価格の高騰で、漁業関係者らに大きな影響が出ているのは事実である。しかし経済政策として重要な点は、今回のように輸入価格が上昇し「交易条件」が悪化している下では、国民の生活水準低下は避けられないという事実である。厳しいが、これが資源輸入国の現実なのだ。政治の指導者は国民に、「我慢しよう。歯を食いしばって、これをしのごう」とまず訴えなければならない。にもかかわらず現状は、国民に対し痛みに耐えることを訴える政治勢力は皆無である。与党も野党もばらまき型の政策を求め、一部メディアもこれをあおっている。
まず「我慢しよう。歯を食いしばってこれをしのごう」という発想は、小泉政権の下で「構造改革なくして成長なし」と唱えた際の「今我慢すれば(構造改革の結果)きっと良くなる」という考え方と同根であることに留意すべきだ。
「交易条件」が悪化している下では、国民の生活水準低下は避けられないという事実はその通りだが、問題はこの「交易条件」の悪化は甘受せざるをえない痛みなのかという点である。竹中氏は「米国経済が回復すれば日本の景気は良くなる」と論じる与謝野氏を批判しているが、今般の原油価格高騰を避けることが出来ない問題であると捉えている点においては与謝野氏と同じ穴の狢であり、竹中氏も同様に批判されるべきである。
そして、「歯を食いしばってこれをしのごうと言うべきだ」という発想は、「政府が自ら無為無策であることを主張せよ」といっているに等しい。そしてこれは「原油価格上昇という供給ショックは黙って甘受すべきであり、その環境条件で淘汰される企業があれば致し方ない、相対価格の自律的調整が進むまでショックを耐え忍ぶことが必要で、構造改革を徹底的に進めるのが必要である」という我が国において根強く生き残っている清算主義という魔物を体現したものに他ならないのだ。言うまでもなく、清算主義が不況脱却において「無理筋」の考え方であることは大恐慌における教訓や、我が国の長期停滞の経験から実証済みである。
90年代以降の長期停滞期の経験に鑑みれば、バラマキ政策は景気の下支え以上の効果を持ち得なかったことは明らかだろう。そして景気悪化局面での増税は、更なる奈落の底へと日本経済をいざなうことも明らかだろう。さらに、現状に対してひたすら耐えることを国民に要求することも誤りなのである。
では、どうしたらよいのだろうか。基本的な経済学が教えるところによれば、輸入価格上昇による交易条件の悪化、つまり購買力の低下に対しては、購買力を向上させる政策を採ればよいのである。購買力を向上させる政策とは言うまでも無く金融緩和策である。
金融緩和により市中に流通するマネーサプライの量を増加させることが出来れば、人々はそれを貨幣として溜め込むのではなく何かしらの形で消費しようとするだろう。失業率が十分に高い水準にあるのならば、実質賃金の低下を通じて失業率は低下し、家計の平均的な購買力は増加する。さらに失業率が十分低い水準(3%前後)に到達すれば、金融緩和は雇用者の賃金自体の上昇をもたらすことで家計の購買力はさらに増加する。購買力の増加は、基本的には相対価格に影響を与えないと考えられる。しかし価格高騰が進む原材料は、我が国の家計にとって必需財でありかつ非競争輸入財としての性格を有している。家計にとって一定量の支出が必要であるということが価格上昇による購買力の低下を現在実感させている一因であるが、所得上昇が明確になればこれまで支出が出来なかった奢侈品・娯楽品への支出が進むだろう。このような効果は原材料に対する他財の相対価格を低める圧力をもたらすことになる。
原材料価格高騰のショックがなぜ問題なのかといえば、原材料価格が他財と比較して急激に上昇することで、他財の原材料価格に対する相対価格(原材料価格/他財価格)が高まるためである。では、このショックを緩和するにはどうしたらよいのだろうか。
一つには技術革新といった手段で原材料価格自体を引き下げることである。これは原材料に対する他財の相対価格が高騰した現状を緩和させることを意味している。しかし、原材料価格自体を引き下げていくのは短期的には容易ではなく、竹中氏が言うように「我慢しよう。歯を食いしばってこれをしのごう。」と国民にこれまで以上の負担を要請することになってしまう。そしてこのような政策が効果をもたらすのは技術革新が伴う以上長い時間がかかり、そしてこの政策を推し進めるのは原材料価格以外の財の価格ベースではマイルドなデフレにある我が国経済にとっては得策ではない。
原材料価格高騰のインパクト(つまり原材料の他財に対する相対価格の高騰)を押さえるもう一つの方法は、他財の価格を押し上げることである。原材料価格ではなく他財の価格を押し上げることは、原材料価格自体を抑制するという方法と同様に、原材料価格の他財に対する相対価格の上昇を抑えることに繋がる。そしてこの、他財の価格を押し上げることは、GDPデフレーター、CPIコアコアといった国内財価格がデフレに陥っている我が国の内需を掘り起こすことに寄与し、失われた購買力を回復させることに繋がるのだ。
このような原材料価格と他財との間の相対価格の調整は、産業構造の調整を伴うという意味である程度の時間が必要かもしれない。しかしながら、金融緩和策を進めることは、相対価格一定の元で購買力を上昇させ、原材料価格高騰の影響を和らげる。ノーベル経済学賞受賞者でもあるアカロフ教授は、マイルドなインフレの効用として相対価格の調整がより進み易くなる点を指摘しているが、現在の我が国においてCPIコアコア、GDPデフレータで見た物価指数がマイルドなデフレを示しているのであれば、そのような状況からの脱却を目指す金融緩和策は相対価格の調整がスムーズに為されるのを後押しするのではないかと思うのである。
竹中氏の議論は、「失われた十年」で得た教訓を全く踏まえていないという点でご自身が批判しているバラマキ政策や財政再建派と同じではないだろうか。そして論説を読んで、竹中氏の「構造改革」を支える思想が国民に痛みを強いるものでしかないということにも改めて失望した次第である。これではリフレ政策をいくら取り入れたところで結局の所掛け声だけで終わってしまったのは当たり前だ。繰返しになるが、GDPデフレーターやCPIコアコアといった指標でマイルドなデフレが続いている我が国において原材料価格高騰による購買力の低下を抑制するための政策手段を採ることはたやすい。金融緩和を行えばさらにCPIは上昇しインフレが進むのではと懸念する向きもあるかもしれないがそれは杞憂である。欧米諸国のCPIの伸びはヘッドラインで4%??5%だが、我が国は前年同月比で2%の伸びである。そして欧米のCPIコア(我が国のコアコアに相当する)は2%程度だが、我が国のCPIコアコアの伸びは0.1%に過ぎない。さらにGDPデフレーターがマイナスである国は何処にもないのだ。
政府として今何を議論すべきだろうか。当然ながら、同じ狢同士で批判しあうことではないのは明白である。金融政策は政府からの独立性が付与された日銀によって為されているという点は留保すべきだが、以上の論点を考慮に入れれば、政府の検討課題として金融緩和を行うための具体的政策手段としてどのようなものがあり得るのかという点も少しは議論の俎上に乗せても良いのではないだろうか。90年代の誤りがなぜ生じたのか、それは、経済政策における金融政策の有効性を過度に軽視するという大きな誤りを見過ごしたためである。だからこそ90年代の誤りは起きたのである。交易条件の悪化という事実の前で、自ら国民に対して痛みを求めるという無為無策をつまびらかにすることこそ愚の骨頂である。勇気を持って経済問題に対して果敢に戦った先人が居たことを忘れるべきではなく、そして我が国のリーダーは勇気を持って果断に金融緩和の実行を論じ、そのための具体的政策を実現していくために何をすべきかという点も考慮に入れても良いのではないだろうか。金融政策の決定に対して異論があれば、政策決定会合における議決延期請求権の行使や、極論かもしれないが、例えば政府紙幣の発行、国債発行による日銀の引受けといった策もある。現状空席となっている副総裁・審議委員の席を埋めることや、政府による政策目的の独立性を発揮する重要な機会でもある総裁・副総裁・審議委員の任命がスムーズに行くように制度整備を進めることも重要だ。
先程、「金融政策は政府からの独立性が付与された日銀によって為されている」と指摘したが、日銀が与えられている独立性は政策手段の独立性であり、政策目的の独立性ではないことに注意すべきである。政策目的は政府と認識を一にすることが望ましく、正しい政策目的は正しい現状認識と正しい将来の見通しから育まれるものである。昨日の金融政策決定会合においても日銀は経済見通しを下方修正しつつ現状維持を決定したが、これまでデフレ脱却が進まなかった大きな理由は、日銀が判断の根拠である経済見通しを常に楽観的に捉え、その結果として性急な金融引締め(量的緩和解除→利上げ)を行ったことではなかっただろうか。02年以降の景気回復期におけるメインエンジンは外需だと言われるところであり、昨今景況悪化のリスク要因として取りざたされているのは原材料価格の高騰やサブプライムローン問題といった海外経済の景況悪化であるが、我が国の景況悪化要因として国内政策の要因も影響している可能性も排除できず、寧ろ現在の状況は外需の低迷が鮮明になったことで元々隠されていた内需の弱さが顕在化したとも捉えることが出来るのではないだろうか。
景気対策として効果を持ちうる規模の財政政策を行うのであれば、名目成長率が低下している現状では政策目的であるプライマリバランスの黒字化を放棄せざるを得ないだろう。景気対策と財政再建のジレンマに直面すれば結局のところ最低限の政策しか行うことが出来ず支出した金は無駄金になる懸念すらあり、景気後退が顕在化している中で増税を行うのは論外だろう。以上を踏まえれば、竹中氏のバラマキ政策・財政再建派への指摘は正しいだろう。但しデフレ脱却を主要政策課題の一つとして掲げ、そのための政策努力を日銀に対して在任中求めてきた竹中氏だからこそ、景気後退色が濃厚になった現状において「歯を食いしばってこれをしのごう」という更なる痛みを強いるような議論を聞きたくはないと感じるのは自分だけだろうか。論説のタイトル通り、今回の選択が「大きな誤り」の始まりにならないことを祈念するばかりである。
(※)沢山のブクマが付いていて驚きますが(汗、文章を修正しました。ご容赦を。
自分のソフトバンクの携帯からgoogleモバイルにアクセスすると、
ページを編集してトップページにコンテンツを追加できるようになっている。
追加できるようになっていたので、ちょっとびっくりした。
痛いニュースってサイトは、在日外国人関連や性差の問題、中国への批判等を
激しい論調で、時には一方的なレスを抽出して紹介する傾向があると思ってたから。
(もちろんそんな記事ばかりではないし、
良い議論の場にもなってるのかなーとも思うけど。)
自分くらいの年齢ならそういう記事も客観的に見れるんだろうけど、
もし中高生がなんかの拍子にアクセスして、丸ごと影響されちゃったら……
とか思うと心配になる。
なんていうかこう、「インターネットの中の大多数」の意見にふれて、
しっかり考えたり確かめたりしないまま自分の意見にしちゃいそうで。
もしそうなったとして、途中で本人が変わっていけばいいんだけど、
自分と違う意見を「擁護乙」「本人乙」で片付ける大人も実際にいるから怖い。
自分だって人には見せられないようなサイトも見るから偉そうなこと言えないし、
エロが見たいとかワロスwwwとか騒ぎたいのはわかるんだけど、
大人が自分の正しさを確信しながら、他者に対する嫌悪を丸出しにしてる場を
子供に見られるのはなんか恥ずかしい。
それが正しい意見だと思われるのは更に恥ずかしい。
「お願いだからもうちょっと大人になってからまた来て」って言いたくなる。
今やパソコンだって一家に一台の時代だし、あらゆるところにパソコンがあって
それこそ2ちゃんねるだってエロサイトだって増田だって見られるんだけど、
今や一つの文化みたいなものだと思うんだよね。
モバゲーとか前略プロフィールとか学校裏サイトとか、恋空とか、
10代の子の多くに広がったものは、やっぱり携帯で見ることを前提にしてた。
そういう状況で、大手検索サイトであるgoogleのモバイルサイトから
大人がざわ…ざわ…してるサイトを簡単に見れちゃうことに驚いた、という話でした。
おかんとケンカした。にーちゃんのことで。
にーちゃんは10歳の夏に大きな病気をした。でも奇跡的に助かった。当時の主治医には「完治しました」といわれた。
ただ、後遺症なのかなんなのかよく分からないんだけど、退院後も頭が痛くなったり熱が出たりしてた。
1年ぐらい薬を飲んでたけどよくならなくて、最後に病院に行ったときは「自律神経失調症」っていわれた。
中学はあんまり通えなくて、高校も通信制に入ったけど結局ドロップアウト。
その後はふらふらしたり、ひきこもってひたすらテレビを観たりしてる。
部屋はものすごい汚部屋。昼夜逆転。それでたまに熱を出したり、頭が痛くなったりしてる。
そんな生活が続いて、気がつけばにーちゃんは30歳。
ここまではよくある話かもしれん。そしてこの後の話もよくある話かもしれん。
おかんは、にーちゃんが病気になったのも、その後ちっともよくならないのも、
それもこれもみんな「先祖の供養をきちんとしなかったから」「住んでいる場所の方角が悪いから」とかそういう方向に走った。
ま、ただ、そっち方面一直線じゃなかったのは救いだな。
1年に一回くらい突然思い立ったかのように「死んだじーさんが」「方角が」「前世が」みたいなことを口走ったりする。
そんなことが20年も続いてる。
今日、おかんとケンカした。
1年に一回の変なことを口走る時期がきたんだ。ずっと聞き流してたのに、なんか言っちゃったよ。
いやいや、先祖とか方角とかと、にーちゃんの病気は関係あったのかよ。
あったとしても、終わったことを悔いるんじゃなくてにーちゃんがこれからどう生きてくかを考えてやれよ。
この20年、何してたんだよ。
2時間くらい話したけど、おかんはブチ切れて部屋を出てった。お前に何が分かる。
お前には迷惑をかけないから。そういって出てった。
おかんが出てった当初は頭に血がのぼってて、「分かってねーのはそっちだろ、現実を見ろよ」とか思ってたけどさ。
冷静になればなるほど、おいら何やってんだろって思う。分かってねーのはおいらだな。
おかんは親なんだよ。親の愛は盲目的なんだよ。
にーちゃんの具合の悪い様子を見て、なんとかしてやりたくて、代わってやりたくて、でもできない。
見てるだけ。親にとってはいちばん辛いよな。
それについて自分なりに納得できる理由が「先祖のうんたらかんたら」なんだよな。
思えばおかんがそんなことを口走るのはいつだって夏だ。20年前、にーちゃんが倒れたのも夏だった。
おいらは息子なんだから、おかんの世界に付き合ってやればよかった。ごめんおかん。
手前で童貞とか言ってりゃ確かに楽だよなー
子供にとって野球の試合見るのって退屈だろうしね。そういつもいつも劇的なプレーがあるわけじゃないし、ボール取りに執念燃やす(笑)のも仕方ないかな
>金瓶梅って知ってる? 水滸伝のエロパロ小説だ。
人のレベルを云々言う前にお前はこれを読んだ事があるのかっつーの。
俺は小説の水滸伝(とは言っても、せいぜい北方謙三)は読んだ事あるけど、これはない。
名前だけは聞いた事あるけど。
だが、普通にネットで情報を調べた限りでは、単なるエロパロ小説とは思えんのだが。
お前のズリネタと比べるのは中国四大奇書様に対してあまりに失礼じゃないのかい?
つーか、やっぱお前はアホだわ。
>社会倫理と作品の芸術的ないし文芸的価値は無関係だろ。学校のお勉強じゃないんだから。
>どんなに反倫理的でも反社会的でも価値の高い作品は高いぞ。
エロだろうとなんだろうと、おまえの言う価値が高いなら別に文句ないわ。
ただ、お前のズリネタのエロ同人誌は後世に残るほど価値の高いものなのか?
その金瓶梅は、エロパロだけでなく価値が高かったから色んな人に認められて
今も残っているんだろ?今の議論を意味を理解しているか?
ただのエロ同人誌描き、もしくはそれを支持するキモオタがえらそーにふんぞり返るなって話なんだ。
開き直って、自分の作品(笑)には著作権がある!と喚くなって話なんだ。
隅で恥ずかしそうにして、静かに同人誌をしこしこ売ってろ。作るなとまでは言わないから。