スイーツ側の人は業務内容が密接にプロジェクトや会社の中の話と結びつくことが多いので、はてな界隈ではなかなかスイーツ側の人はスイーツ側の濃ゆい話を書くことが出来ないことが多いようだ。圧倒的にスイーツ側の人間がはてなを始めとしたブロゴスフィア全体で少ないなぁとつくづく思う。QAも少ないけど。この辺をアツく語るブロガー出てこないかなー。
私は200X年に今の会社に入社して、数年間WEBアプリケーションの開発をやった。多くはJavaの案件だった。最後の案件は去年の夏ごろだ。前任のPMが逃げるように辞めていってしまい、非常に複雑なロジックを自分が担当することになった。1500行越えktkr。それを参考にして(これが大間違いだったんだよセニョールorz)2週間かけて作ってみたはいいものの、テストを繰り返しているうちにどんどんボロがでて、結局その当時のPMとパートナーさんに相談して設計からやり直した。パートナーさんの英知を借りて結果としてコード数が半分以下になり相当イケてるコードになった。今となっては英断だったと思うがその代償でほとんど土日を使い潰してしまった。コードの怖さを思い知った夏でした。
昔話はこれぐらいにしておいて、と。
でもって今は仕事ではコードを書かずにひたすらPowerpointに魂を込めるプレゼンの日々を過ごしているのですが、これはこれで意味のある仕事なんだなと思っている。この業界においてスイーツの人はやっぱり必要なはずなんだと思う。全員が全員エンジニアだったらビジネスにならないと思うのです。技術それだけでは1円も生み出さないのだから。私はずっと内製回帰すべきであると言い続けているけれど、誰かがスイーツを着なくてはならないと思っている。マネージャは必要なはずだと思ってる。誰かが顧客と向き合わねばならない。誰かがチームをまとめあげなくてはならない。できれば、その人は技術も業務も語れるハイブリットな人材が望ましい。このあたりの議論はSIerの中では絶対出てくるはず。
ただ回りを見渡してみれば、はてな界隈でフルボッコされている「スイーツなおやぢ」がマジョリティなのも事実。技術のこと、実装のことを肌で感じることができないし、感じようともしない。大規模になれば細かい所なんて見れるわけが無いので僕の仕事は工数を管理するだけなのでーす、という立ち位置の人間が多いのも認めざるを得ないし*1、そういうスキームになっている部分も否定できない。ごくまれにコードが好きだけど年齢的に管理職になってボヤいているなんて人もいるんだけどね。それにひたすらプログラマー現役続行状態でリスペクトされている方もいるのも事実。今あなたが立っている場所によって全然見え方が違う。
以前エジケンがニッポンIT業界絶望論の中で受託開発にはイノベーションなんてねぇよと切り捨てたけど、本当に革新的なものを生み出すことが全てでは無いだろうとも同時に思う。イノベーションは結果であって目的では無いだろうという見方もあるんじゃねーの、と。これは賛否両論だろうね。コードでなければ世界を変えられないとはてなおやは言うけれど、コードよりも何よりも人間を動かせばすぐに世界は変わるだろうとも同時に思うのです。
スイーツ寄りの人間が最もやらねばならないのは、人を動かすことだと思うのです。顧客を動かす、チームを動かす。プロジェクトが成功する方向に。人を動かすために必要なスキルと、システムを動かすために必要なスキルは全く別物です。Powerpoint1つとっても、結構ディープだよ。言いたい事を正確に伝えるのはスイーツでもエンジニアでも必要だと思うけど、そこで真剣勝負をする人は少ないのが残念。また、スイーツとエンジニアの間にはお互いリスペクトがあればそれだけでいいはずなのですが、上流から下流にお金が流れていってしまうため立場的に下流側にしわ寄せが来る。職業に貴賎は無い。技術神経が死んでいるおやぢほど技術者を十把一絡に捉える傾向が強い。これはガチだと思う。
スイーツにも新陳代謝が必要なんです。むしろ、スイーツにこそ新陳代謝が必要なはずなんです。政治家・似非管理者としてのスイーツが全てではないだろう、と。「ウェブ・リテラシー」を持っているスイーツが色々と面白い企画を立ち上げていく。会社を、回りをよりよい方向に持っていく。そういうスイーツがこの業界にはもっともっと必要なんじゃないでしょうか、と。そういうスイーツにはこれから色んな「けものみち」があるんじゃないだろうか、と。私はずっとエンタープライズにいる人間ですが、技術リテラシーが死んでいる人間が立ち上げたプロジェクトが砂上の楼閣のように崩れ落ちていくプロジェクトをそれなりに見てきたし経験してきました。だからこそ、そういうスイーツが要るんじゃないか、と。エンジニアがスイーツになってもいいと思う。エンジニア寄りのスイーツってめっちゃ希少価値高い気がするけどなぁ。いざとなれば自分でコード書ける自分でありたい。そこは失いたくない。
全然考えがまとまってないんだけど、スイーツはスイーツで結構奥深く多面的に色々なことを求められるのが本筋であり、スイーツにはスイーツのロールモデルがあって然るべきだってことが言いたいのです。スイーツ着たら負けだと思いたくないのです。そういうことを語り合いたい!!
http://anond.hatelabo.jp/20071227214750
若いプログラマが経理や総務をバカにすることはよくある。最近はそうでも無いかもしれないが、第二次大戦で最新兵器を職人芸で扱うパイロットが独特のプライドを振りかざしていたのと同じだろう。それは若さだが褒められたことではない。
しかし本当のスーツというのは上流工程が特権かなにかである錯覚と、下請け(侮蔑的に)を所属組織の論理(そうだな、10倍のしかし業務には無関係の「管理」のための申請と確認書類の山とでも言おうか)に組み込むことを仕事だと勘違いしてる矮小なことに自分たちの組織内部でしか通用しない政治家たちのことだ。
アドビを見よ、シマンテックを見よ。技術的な効用が逓減する中、マーケッタや金融屋の発言力が増しコアコンピタンスであった製品の魅力が毀損してしまっている。そのくせ給料だけは人の数倍するのだ。彼らの主張する給与根拠からすると業績悪化したら個人的に補償するに違いないと思うのだが、そうなったことを聞いたことが無い。どうせ3年ぐらいで方針再評価修正するのだ。死ねばいいのに。
よく分かんないんだが「スーツ」ってのは経営陣や営業マンを指すわけ?
何かこう、IT屋さんの傲慢を感じる。
俺はITろくに関係ない仕事で、毎日スーツ着て会社行ってるが、
とバカにしてんのか
繋がる、リンクするツールがいろいろあること自体を問題化してもしなくてもよいのだけれど、いまいち、乗り切れない部分がある……感覚的なものとして、画面からはみださんばかりにブログの書き手だとかツールの使い手が押し出されてくるというのが面倒というか、相手にしたくないというか。画面に対する接し方が違ってくるのは問題ないのだけれど、あるモードにやられっぱなしになっているのだとしたらいただけないかもしれない。
自己内対話的なもの、日記的なものを書く書き手も確かにどこかに存在しているのだろうけれど、その人たちも背景としての騒々しさ(!)にやられているのか、「ここには書けない」等の言い回しが多くなっている気もする。むしろ逆に、「ここにしか書けない」というような感覚でウェブ日記を書いていたときが自分にも、まわりにもあったような気がするのだが、微妙に遠い。まあ、自分の検索能力が低いというのもありえるけれど、とりあえず日記書きを自認する人は、日記を書くときに訪れる他者の目に押し潰されそうな感覚なのか倦怠なのかわからない不気味なもの(Web2.0?)……にめげずに,立ち向かって無化していってくれると楽しくなるかもしれない。まあ、そのブログスペースは他ならぬあなたのものであり、紙(のメタファー)であるということで。ブログは公共空間であるから、きれいな仮面を纏って論を展開し活発で素敵な社交(嘘)を展開するべきである!といった意見もあるにはあるだろうけれど、仮面であるのならば、今にも剥がれ落ちそうなボロの仮面もまたあり、仮面を繕い続けるような内的で私的な仮面もまた可能であると思うので、各人が選択する、あるいは選択できないままに仮面を手にしているということで、気ままに文章を打ち込んでいただけるとあり難い。
まぁ、それらを好きな連中はお前のことを耳が腐ってると思ってるから。
努力が実ってよかったじゃん。すりゃあなんとかなんだよ。
この間久しぶりに、遠くに住んでる異性の友人に会ったら、
開口一番「かわいい!」
って言ってくれた。
確かに自分でもかわいいと思う格好してたのだ。
自分でかわいいと思ってる格好を、かわいいと言ってくれるのってうれしい。
その人は実は変な顔だけどとてもモテる。
モテるのってこういうとこからなんだろな。って思った。
perfume,capsule,m-flo,sugiurumnが大っ嫌いなので、最近の日本のクラブミュージックは全然おもしろくない。
こいつらをいいよねーとか言ってるやつを見ると、耳が腐ってるんじゃないかとすら思う。
genki rocketsはギリギリゆるせるが、それでももっとよい日本のポップなハウスミュージックはいっぱいあるように思えてならない。
前々から感じてはいたけど、この前「ドグラマグラ」が青空文庫で公開されて確信した。
みんな夢野久作が好きすぎる。
夢野に限らずいわゆる狂気系といえばいいのか、みんなそういうのが大好きだ。
それは例えば「tanasinn」だったり、「ゆめにっき」だったり、シゾフレの描いた猫であったり、
斧をふりまわしたりヒロインだったり、恋敵の腹をかっぱさくエロゲアニメだったりする。
音楽だってそうだ。
ヤスタカだってpalだってセラニだって結局はテクノかポップの皮を着たサイコなミニマルじゃないか・・・
なんだろう、これは。
みんな揃って破滅願望でもあるのだろうか。レミングスか。
少なくともただ漠然とした不安如きで自殺する気なんてさらさらない酔っ払いに思えるのです。みんな。
では、これはいったいなんなのか。
このテンデンシーとは。
厨二病の延長なの、か、な?
それはあるいはマイノリティーを「みんな」とマスっぽく飾ってみるような。
人間って本当に個人差が多彩だと思うわ。
「自分は凡人です」っていうのに対して「謙遜にしかきこえない」と言うと「勉強してないから凡人」らしい。
名言紹介系のようなテキストが順番に出るタイプの動画があると思うんだが、ああいうのをストレスなく見られたことというのが自分でも驚くほど少ない。基本的にテキストの切替が遅すぎる。五回読んだんですけど続きマダー、という事態になって途中でイライラして見るのを止めてしまう。もうちょっと早く切り替えてもらえないものか。あるいは動画サイトに1.5倍速再生機能のようなものが実装されないだろうか。
皆も言ってるけど、品定め、っていう単語が悪いイメージであって、行為自体が悪いうわけではないと思う。
結婚するかどうか、一緒に暮らせるかどうか、それを「見極める」ってことだし。
というわけで、見極めるという言い方なら、どうだろう。
あーそやね、一人称とかそのへん何にも考えずに書いてたわ。あとまあ理想論っていう反論は真摯に受け止めるよ、現実には難しいってのは重要だからね。
理想論って語るのはいいと思うんだけどその理想を元にして是非の判断しちゃうと色々問題出てくるよね。
あと妙にしゃっちょこばった文章を書こうとするんだったら一人称の統一位した方がいいんじゃないかな。普段はそんなの気にしないけどそれだと目立っちゃうから。
養育者は教育の責務を負っている。子供が森羅万象に対して理解を深め良い人生を送れるようになるまでには、独力で処理するには余りにも膨大過ぎる量の疑問にぶちあたるのが普通だと、そう私は考えているわけだ。となると極力、子供が質問することに臆病とさせてはならない。まあもちろん静粛な場での質問とかはそりゃその場ではせず後で質問するように諭すなどの例外はあるわけだが、基本的には養育者への質問は歓迎するように育てるべきだ。
との考え方を抱く俺が増田を見るに、増田は養育者への質問自体を(上手に質問できなかったという点を勘案しても)恥と捉えていると感ぜられるのであって、そのこと自体が、子供と養育者との関係として宜しくない証左だと考える。
幼少のみぎり、ワイドショーで流れた聞き慣れない単語「トップブリーダー」とは何ぞやと親に尋ねたが説明するのが面倒だったらしく返答が得られずに言葉を濁されて以来長いあいだ「ブリーダー」とはエッチな言葉だと思っていた。いまも「ブリーダー」と聞くとエッチだ!と反応してしまう。
馬鹿ですみません。