だってさ。
ただそれはよしとしていてそのトンデモだ!だけしか言わないようなレビューだったのが残念なのかもしれない。
温暖化は色々環境とかがやばくなるんでしょう。それをどうにかしなくてはなりませんね。ぐらいは書けなかったのかしら。
もしかしたらちゃんと書いてるかもしれない。ながら読みだったから。
ただもしかしたら温暖化が起きてもそんなにたいしたことねーよ、という風にまで考えている立場の人なのかもしれない、とは思ったが。
以上歿。
追記
ぅい。
ただ引用文献の??っていうのはしらへんです。
追追記
まあそんなムキにならなりませんな。
頭回らないからリンク先は読む気力ないけれど
えーと
自動車業界・石油業界(産油国?)の陰謀が温暖化なんてCO2のせいじゃねーYO!って意味でいいのかな。
そうだな、問題は地球環境の変化に人類?(人類って話がデカいが苦笑い)がどうフレキシブルに対応できる社会システムを作っていくかって話に繋げていって欲しいんだがまあそれはいいかぁ。
んじゃ徹夜でムカムカして吐き気とか気持ち悪いけど図書館いてくらぁ。
そうだ、ああ、あるねぇ。“あるある”じゃないけど科学者が~って言ってたって言ってもそれが背景にある業界の支援を受けた科学者が言っている言葉なのか注意しろって。そんなのどっかで読んだなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070219030201
気持ちはよくわかるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070219010722
見下したいなら見下せば良いと思う。見下したくないから見下さないらしいけど、何でだろう。TB先はたとえ話であって、筆者は本当にIQ150じゃあないんだろうとは思うけど。素朴に不思議。天才たちはなんでゴッドランドを作らないのかな。私らみたいなIQ100前後が鬱陶しいなら駆逐すれば良いのに。単に凄く優しいから? 私らが知的障害者に抱いてる鬱陶しさは感じてないのだろうか。
私らが障害者を鬱陶しく思うのって、私らの社会がIQ100レベルの社会だからな気がする。IQ150は私らの社会がある程度理解できて、決まりごととかも守れる。そうしてれば、IQ100から見てIQ150は鬱陶しい存在じゃない。IQ150もレベルの低い社会が馬鹿馬鹿しく思えはしても、破壊する労力を使うほどの不満はないはず。ぬるい環境って居心地悪くないだろ。でもIQ70はIQ100社会を理解できないから疎外されて社会不適合になる。
誰かこれに突っ込めよ、って思って気づいたけど、
益田ってまるで2ch
まぁそれは既にanond:20070218023006に書かれているわけだけど
そしてこの日記の、
「―って思った→それは既に書かれてる」っていうサイクルも既出
そしてこの日記もanond:20070218143429のサイクルに含まれるわけか
あー宇宙やばいなー
IQ200 vs IQ150 vs IQ100 vs IQ
??IQ200 『つまり…ということです』
??IQ150 『ん??難しい、理解できそうなのだが、ん??難しい』
??IQ100 『へ??そうなんだ。君すごいね頭いいね。俺も久々に勉強してみようかな、今度、海外旅行いくしNOVAでもいってみようかな』
IQ150 vs IQ100 vs IQ
??IQ150 『つまり…ということです』
??IQ100 『ん??難しい、理解できそうなのだが、ん??難しい』
IQ100 vs IQ
??IQ100 『つまり…ということです』
参考:
http://anond.hatelabo.jp/20070219010722
俺がその昔、地球は丸いと言ってた時、民衆に頭がおかしいと思われてたよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070219001517
今でもフス教の教会はあるって聞くよ。
良く読んでないけど、ことさら無神論者が多いなんてことはないよきっと。
詳しい人に聞いてみるけど、日本とは比べられないよ。ベトナムとも。神が違うしさw
でもちょっと特殊なところはあるかもねチェコ人は
職人系なんだよ基本が。無血革命とかしちゃうしね。赤なんてもういないし。ユダヤは普通にいるけど。
なんていうか馬鹿にされがちだよねちょっと。アメリカでチェコ移民っつーと馬鹿にする奴いるしね。
全然元エントリ読まずに書いちゃったけどどうだろう
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9520.html
これ見てみた。あんま差ないじゃん欧州諸国と。オランダ、フランスと10%しか違わないじゃん。このくらいの誤差はあるんじゃねーの?2000年ってチェコ的にはバタバタしてた頃だと思うし。分離して民主化の大波の最中だろ。日本人ツーリストもめちゃ増えたらしいしさ。よう知らんけどな。
「神」って言われてなにを重い浮かべる?
たぶん違うよね。
日本で神っていうと、神話のアマテラスやスサノオ、ゼウスとかサタンとかか、もしくはイエス・キリストやアッラーのような、人の形をしたものを指していて、「存在しますか?」って聞かれると、作り話だからね、証拠はないからね、っていう考えになるんじゃなかろうか。
でも、たとえば、「この岩に触るとご利益があるんです」なんていわれると、触る人は多いし、お守りを買う人は多いし、初詣をして、賽銭をなげ、幸せを祈るよね。
その時、だれに祈るのだろう。だれのご利益なのだろう。別に、岩や木を神とは思ってないのに。
そんな時、はっきりしたなにかがあるとかじゃなく、はっきりしない、空気とか雰囲気とか気持ちとか、そういうものの延長としての、「なにか」が、その場や物に「宿っている」って思う。そこにはリアルな人物ではなく、仮想化された人物、つまり擬人化があると思うんだよね。それを指して神様という。
あと、「宗教」
フス派が敗北して弾圧されて、カトリック一色になって
日本も同じようなことがあったね。キリシタン弾圧とか檀家制度とか神仏分離とか。
そういう宗教が力によって強制された時、儀式や建前として受け入れても、そこに神はいないと思うんだよね。
そういう歴史が現在の宗教に引き継がれていると神ってのが薄くなるのかな?って思ったけどどうかな。
仏教とか儒教の国はどうなんだろう。日本もそうだけど、ご先祖って神じゃないんだよね(いや、そういう考え方があるのは知ってますが)。
それがかなり大きな影響を与えると思うんだよね。
確かに、それ自体としてはなかなかに大変なことだったろう。しかし政策立案者は、この程度のことでオタオタするべきではなく、このような俗情との結託こそが、最も回避さるべきだ。しかし、はてな匿名ダイアリーを読み書きする者の中にはそのような立場の者などいようもないのであってみれば、まぁ好き勝手なことを述べ散らかしていればよかろうとも思われるし、かえってそのような短絡を遠慮なく発信することは、我々庶民の特権であるだろうし、また、特権を保持しているとなれば、それを行使することは義務であるとすらいえるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
私も襲われかけたことがある。小学生のころ、駅で突然ダウン症の子供につかみかかられた。思わぬ強い力にびっくりしてなすがままになっているところを、見ていた駅員さんとおばさんが助けてくれた。その映像は20代になってもずっと残っている。未だに電車やバスの中で知的障害者とおぼしき人を見ると身がすくむし、声をあげられようものなら逃げ出したくなる。そして祈る、こっちに来ませんように、と。もちろん、それは予想外の言動をされることに対する本能的な怯えにすぎなくて、知的障害者それ自体を嫌悪する感情ではないことは頭で理解しているのだが、それでも怯えている自分に時々嫌悪感を抱く。この感情は、なんなのだ?
同時に、自身も障害者の立場に足を突っ込みかけている。進行性の、高度と中〜軽度の難聴を合わせ持っている。周りの人々は「難聴なんて気にならないよ」と言ってはくれるものの、理解のない人だってたくさんいる。これから社会に出ても苦労するだろう。もちろん自分でもハンデをカバーできるように、人一倍注意してきた。しかしどんなに気をつけたところで、私の認識の外で見えない苦労や迷惑を周りに強いているのは間違いない。でもどうしようもできない。いらつかせたり、反復させたり、気を使ってもらったりと、自分という存在やこのハンデが、社会の中で余計なものであると何度も思い知らされる。でも事実なのだ。誰かに助けてもらわないと生きていけない。
自明のことだけど、「障害者を助ける」という福祉の概念は、最終的に公共の利益のためにある(と思ってるけど間違ってるかも…)。つまり個人が最も幸せになるためには、周りも幸せにしてあげたほうがいい、ということだ。なぜなら皆でそういう取り決めにしておけば、もし自分がコケた時はみんなに助けてもらえる。そしてひとりを助けるためのコストは、限りなく低くなる。だから、キレイなオチとしては、「お互いに助け合っているんだから、障害者に対する差別や偏見はなくそうよ!」となるのだけど、わたしだって知的障害を持つ子供が生まれれば腹を括るまで相当時間がかかるだろうし、彼らを反射的に避けてしまう。そんな自分に嫌な気持ちをおぼえるけど、自分の難聴だって誰かに同じような感情を生んでいるのだ。そういうのを次から次へとみんなでまわさなくっちゃいけないから、建前というものが発生して、みんなでいやーな気持ちになってしまうんだろう。
ぼくは詳しくはないので一部のみ反応。
についてだけど、問題ないはずですよ。
複製技術が急速に開発され、貸しレコード店の店頭に高速ダビング機を設置する業者が現れ、顧客が私的使用の名のもとに大量の複製をするようになって、著作権者の利益が著しく害されるようになりました。そこで、私的使用の複製の場合であっても、公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を用いて複製する場合には著作権者の許諾が必要とされました(著作権法30条1項1号)。ただし、自動複製機器のうち、文書又は図画の複製に供する文献複写機器を用いた複製は当分の間認められている(著作権法附則5条の2)ので、コピー店、コンビニエンス・ストア等に設置されている文献複写機器を用いての複写には著作権者の許諾は必要でありません。
なんか久しぶりにテレビ的なものを触ったなぁと。
スライダも無いし、巻き戻しもリプレイも自由にできない。
作品情報もYoutubeのライセンス表示も最小限しかださないし。
テレビを長いこと使ってなかったから忘れてたけど
テレビって向こうのお勧め(都合)を勝手に垂れ流す器械だった。
じゃこれは正しい。
http://anond.hatelabo.jp/20070219005501
一時の名声もどこへやら、googleに食われてしまった米yahooに対し、その一時期よりも勢力を伸ばし、googleも手を焼いている日yahoo。
えー、そうなんだ。いままで勘違いしてました。
整理すると、
ってことは、
自分の本でも、コンビニとかでコピーするの駄目なのか。地図とかたまにコピーしてたけど。
あと、研究室とか、会社とかのコピー機だとOKだけど、図書館とかはだめなんだね。あ、図書館は特例あったっけ?デカイ会社も部署用とかじゃなくて共通利用できるようなやつだと駄目かな。
でも、なんか微妙な線引きだね。なんで単純に、物質込みで扱われている著作物は、物質の所持をもって著作物の使用を認めるとみなす、みたいな風にはできないんだろう。
あ、原盤を破損したとか無くしたとか、そういう場合に対処できないんか。
「何オタクか」と聞かれると答えられないけれどもなんとなくオタクな自分。
去年ぐらいから服に気を遣い始めて、ようやくセレクトショップで好みの服を買える様になって来たぐらいの脱オタ一年生。
幸運な事に、コミュニケーション能力はそこそこあって、異性だろうと初対面だろうとカースト違いだろうと関係なく会話できる性格で。
今日クラスの女の子と二人で呑んで来た。なんつうかね、もう、「二人で呑む」っていう事が初めてで。だからこんな日記書いてるんだけど。
お酒呑んで料理食べながら、教室やメッセでは話せないようなことばかり話した。すごく笑って、楽しかった。
なんかここまで書いて、すごくみみっちく感じた。なんてヘタレなんだ、と。
でも最後に一つ言いたかったのは、なんつうか、一歩一歩こうやっていくしかないんだろうなぁと。
乱文でごめんなさい。でも書きたかったんです。mixiじゃ書けんとです。
いやー。信憑性は電通に聞いて…。
まあ、サンプル数1000は、「国民意識」としてはあんまり充分な数じゃなかろーとは思うけどもさ。
君も実はわかっているはずだ。
知能指数100を一般的とするならば150は明らかに異質。