はてなキーワード: 絶叫マシンとは
飛行機が嫌い。
中学生の頃まで家族旅行で海外によく行っていて、そのたびに飛行機に乗っていたけれど、今じゃ考えられない。
特に怖かった記憶はないのに、ほんの1年前に10年ぶりくらいに乗ったら怖くて怖くて泣きそうで死ぬかと思った。
少し揺れるだけでも体が緊張で強張り、常にジェットコースターに乗っている気分だった。もちろん絶叫マシンは大嫌い。離陸も怖い。
高速道路が嫌い。
山形に住んでいて、実家が宮城なので、帰省したり買い物に行くときは高速道路を使わないと行けない。
仙山線はしょっちゅう止まるから使わない。一度冬場に乗って、山寺駅で雪により止まった時は大変な思いをした。
高速バスは安全運転しているか確認したいから一番前の席にしか座れない。座れないときは次のバスまで待つ。
でも高速道路は怖い。高速道路を運転できないからいつも旦那に連れて行って貰うんだが、速度計は見れない。
トラックを追い越したり追い越されたりすると心臓がドキドキする。事故を想像してしまう。
軽自動車で高速道路運転してる人は自殺願望が強いのかなと思う。
お金溜まったら丈夫な車が欲しい。ジープとかベンツとか。半端な知識しかないから次買うときは車好きな友人にアドバイス貰おう。
嫌い嫌いというけれど、できればこの苦手意識なくしたい。
特に飛行機が嫌いだと旅行いけない。高速道路の嫌いさは我慢できるレベルだけれど、飛行機は我慢できない。
飛行機の離陸音を聞いただけで具合悪くなるのはせめてやめてほしいんだが。
生きにくい。
お前はかなり俺だ。
要は感情を発露させることを世界から承認されてないという感覚を持ってるんだよな。
そして世の中の人はけっこう感情の発露が得意で、すごくうらやましい。
俺もこれで苦闘中だけど、かなり難しいなあと思う。
一つは「無力感」に原因があるとも思ってる。自分は世界に流されるだけだという。だから怒りが湧いてこない。
一方、感情豊かな人は、例え流されていてもそうは思っていない。自分が人生の主導権を握ってると思っている。
この感覚を得るにはどうするか、それが俺の挑戦していること。
一つのカギは「恐怖感」にあると思う。臆病すぎることが世間に流されてる感の原因の一つではないか。
これを解消するために、色々工夫してトレーニングしてる(絶叫マシン克服とか)。
動物って、恐怖の量が適度だと、興奮して闘いモードか逃げるモードに入るんだけど、恐怖の量が一定を越えると突然おとなしくなってされるがままになってしまう。
肉食動物に食われるとき、食われる動物は驚くほどおとなしくなる。
http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090623-01.html
そこで何が起きたか。生徒の約半数は、事前にレクチャーしたとおりに、自分でスプレーカバーを外し脱出に成功した。しかし残りの半数近くの生徒は、ひっくり返っても止まったままで動かない。「どうしたんだろう?」と思い、水中眼鏡で海のなかを見ると、パドル(水を漕ぐ道具)を手にもったままじっとしている。つまり、ひっくり返ったその形のまま、止まっているのだ。通常予想される、「脱出しなきゃ」とか「どうしよう」とか、そういった動揺すらもない。何の動きもそこには見えない。おそらく彼らの頭のなかは思考停止状態で、真っ白になっているのだろう。完全にフリーズしているのだ。
↑ここで野口は、生命の危機でおとなしくなってしまった子を「生命力がない」と言っているが、端的に言えば臆病すぎて恐怖の量が基準値を超えたということだろう。肉食動物に食われる瞬間と同じになっている。
そしてそのあとの理屈バカに限って生命力がないという見方は慧眼だと思う。
おそらく理屈とは、人間が恐怖から逃れるために編み出した新しい武器なのだ。つまり理屈っぽい人間ほど臆病だ。
これは人類スケールではよい影響をもたらしたろう。そしてたくさんの恐怖を克服してきた。
ところが個人レベルでは必ずしもそうではないのだ。
俺は理屈バカだ。そして極度の臆病者だ。俺の理屈は人類に何も貢献しない。
だったら、だったら俺は自分の人生だけを考えて、過剰な理屈を放棄するべきなんだ。
俺はもうそうやって生きることに決めた。
ただ、理屈を放棄することがどんなに難しいか。
ブルース・リーの言う「Don't think! Feel!」。
目指すはそこなんだと気がついた。