原因を考えてみたんですが、恐らくこの人達は
そもそもパイロットと登場機の性別が一致するというのが大きな間違いなのです。
たとえば船は女性ですが、それなら船乗りは女性ばかりなのでしょうか?
そうですもしそれが当たり前なら『ハイスクール・フリート』はそのコンセプトそのものが間違いだったことになるでしょう。
ただこの勘違いを引き起こしているのは、ガンダムという作品における圧倒的男性パイロットの率に起因すると思われます。
機動戦士ガンダムは愚かなオールドタイプを新しい価値観が駆逐するというコンセプトでありながら、パイロットといえば男という昭和的な価値観をひたすらに引き摺っているのです。
その証拠として登場する女性パイロットの圧倒的なNT率の高さが上げられます。
これは「女性なのにパイロットをやれるという異常事態には理由があるはずである」という偏見がなければあり得ないほどの高さなのです。
パイロット≒男性論は後世の作品にも引き継がれ、平成ガンダムにおいても多くのパイロットが男性であるわけです。
しかし、その殻を遂に破り女性パイロット主人公たちの物語が展開されるのが『水星の魔女』なわけですね。
この作品は一部のオールドタイプな者たちからは女性キャラクターで萌え豚を釣る愚かなアニメと思われているようですが、そのような偏見こそが今や時代遅れでしょう。
女は家庭に入り港として男を守るために生きるべきであるという価値観はプリキュアの登場により破壊されたはずですが、あれか20年未だにそのような思想に固執するとは。
ここまで言ってもまだ「機体はパイロットの分身なのだから、パイロットと性別が同じだ」と主張する人に質問です。
貴方は『アイドルマスター XENOGLOSSIA 』をどうのような物語だと解釈しますか?
そうです。
あの物語は明確に女性パイロットが男性ロボットを取り合う恋愛修羅場ロボットアニメなわけです。
え?恋愛はヘテロな関係の中で展開されるというオールドタイプな思想から来る偏見ですって?
それなら話題を変えましょう。
そうですエヴァ初号機は碇シンジの母親碇ユイであり、パイロットであるシンジは男性なのです。
証明は終わりました。
私の勝ちです。