2022-05-30

他人様には子供時代があったのだと自分の子を重ねて想う

これがすべてなんだ。

近年、あらゆる業種のサービス品質が落ちたと聞こえてきたり、公園で大声を出してはいけないのような立て札が登場して世知辛いねと言われるようになった。

子供ができて私自身の目が最も大きく変わったのは他人様には子供時代があったのだと自分の子を重ねて想う」様になったこととなのだ

目の前で接客している子や、私の仕事の部下、街をゆく青年熟年、老齢の方々、この人たちには当たり前の話だけれど子供時代があったのだと想うと愛しく感じる。
しかしこれを愛と呼ぶのかは私自身がまだまだ未熟でわからない。

誰かとコミュニケーションを取ると我が子が頭の隅にチラつく。
あぁいま私は親として恥ずかしくない言動をしているだろうかとついつい考えてしまうのだ。

誰かがミスをして私へちょっとした迷惑が降りかかる。
頭の隅で我が子がチラつく私は「次は頑張ろうね」とついつい思ってしまうのだ。

アナタの目の前に居るすべての人々は、過去の子供であり、将来の大人なんだ。

すべての子供は老後のアナタを支える税金年金納付者であり、アナタを診断する医者であり、治安を守る警察官であり、建物道路を作る土建技術者であり、役所の窓口担当者であり、アナタサービスしてくれる人なのだ

これはもう物理的に覆ることのない順番。
アナタ子供時代大人迷惑をかけたようにアナタ迷惑を被る順番が来たんだ。
アナタ子供時代大人をウザいと思ったようにアナタ子供からウザいと思われる順番が来たんだ。

そしてアナタには「子供から見てカッコイ大人になる」順番も来ている。
子供たちにこういう人になりたいと思わせるカッコイ大人の振る舞いをして欲しい。

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