2021-08-02

「竜とそばかすの姫」の仮想世界Uの倫理的問題

竜とそばかすの姫を公開初日に見てきた。

四国田舎に住む女子高生すずは幼いころ母親が人命救助のため川で死んで以来人前で歌うことができなくなっていた。

そんな中友人の勧めでインターネット上の仮想世界U (ユー)に参加する。

Uの中ですずは自身分身BELLとなって自在に歌うことができた。

BELLの歌と曲は瞬く間にUで人気になっていく。

ここまでが前半のあらすじである

Uに参加する際はイヤホンデバイスが装着者の生体情報をセンシングし、隠れた能力を引き出してアバター、アズが自動生成される。

ここで特徴的なのはアバターの造形や能力には利用者自由意志が介在しない点である

無意識希望は反映されるかもしれないが、それがはっきり分かる描写はない。)

ここではアズのテクニカルな実現可能性については議論しない。

あくまで、その技術の描かれ方に潜む倫理的問題を考えたい。

アズの、ひいてはこの映画問題は、「人の潜在能力はセンシングによって見つけ出せる」という思想を無批判に受け入れていることである

考えてみてほしい、あなたの生体情報からあなたの潜在能力定義できるとしたら…

どう考えてもディストピアSF世界である

このような思想は人の可能性を狭め、優生主義につながる可能性がある。

例えばセンシング結果の反映がいくつかの可能性の提示にとどまり利用者意思が介在する余地があったらそこまで倫理的問題はないかもしれない。

番手っ取り早いのは、隠された能力ではなく、本人の願望が具現化したアバターとすればよかった。

それか潜在能力を生体情報から導き出すシステム自体批判的に描くこともできたはずだ。

この問題倫理的な面だけでなく作劇上のひっかかりとしても感じられた。

「隠された能力を引き出して作られたアズ」と「成りたい自分」が偶然一致すれば幸せだが、そうでない場合は全く楽しくないのでは?と思えるのである

これについてはU世界の住人は基本的主人公承認欲求を満たすだけの書割なので細田守監督的には全然気にならなかったんだろうが、、

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