2021-03-06

人格が卓越していると、いろいろ得なことが多い。人格さえ優れていれば、どんな不祥事を起こしても許されるから安泰だ。だからつねに人格を磨くように心がけなくてはならない。会社で配られた本にそう書いてあった。研修課題図書になっていたやつが、昨日ようやく読み終わった。

やる気は出た。だから今日は朝6時半に出社して、「人格の磨き方」を検索した。トイレ雑巾で磨けば人格も磨くことができるそうだ。

会社ビルをいったん出て、朝からやっているスーパーで洗剤と雑巾を買ってトイレに行った。便器はいい感じに汚れていた。誰かが的をはずして床に吹きこぼしていたので、それも雑巾で拭いた。便器がきれいになると、たしか人格が磨かれた感じがある。

光る便器を見つめていると、もよおしてきたので、自分で磨いたばかりの小便器に放尿した。人格を磨いた後は、小便の勢いがたしかにいい。

誰かが入ってきて、隣の小便器に立った。高そうな青いスーツを着た人が、静かに放尿を始めた。その人はジャケットの内ポケットから何かを出し、無言で私のズボンポケットへ入れた。こちらの顔を見ようともせず、尿が止むと身体上下に揺らし、何事もなかったように出て行った。

ポケットを確かめると、マクドナルドハッシュポテトが入っていた。まだ温かかった。人格を磨くと、朝マックに行かなくてもハッシュポテトが食べられる。方向性として間違っていなかったわけだ。

人格を磨くためなら今日珍味おばさんにも優しくできるはずだ。この人は毎日のように会社電話してきて珍味を注文しようとするので、珍味おばさんと呼ばれていた。キッチン洗面所に貼るタイルを売っている弊社に珍味も何もないのだが、電話を取った人がなぜかいつも私につなぐので、適当に返事してガチャ切りしていた。人格を磨くためなら、今日は全人的な応対をするだろう。

おばさんは始業後まもなく電話してきた。基本的時間にはきっちりしているのだ。

「ねえ、ちんみちょうだい。あなたのちんみちょうだい」

かしこまりました。赤黒くテラテラ光って、鼻を近づけると生臭さでむせかえるような、あの肉ですよね」

「そう……それ、それ……」

珍味おばさんは受話器の向こうで息を荒げながらメールアドレスを教えてくれたので、見積書を送った。

昼頃、三ツ桃さんが眉間にしわを寄せながらFAXを持ってきた。ひっつめ髪で、だいたいいつも厳しい営業部の先輩だ。

「この、鮭とば5箱って、なんの注文?」

人生の糧、ですかね」

三ツ桃さんは瞳孔がひろがり、両手で口を覆ったまま動かなくなった。

「行きます? お昼」

オメガラーメンは混んでいた。満席カウンターに座った客は肩を触れ合うようにして麺をすすっていた。店に入ってから三ツ桃さんは俯いたまま、一言も話さなかった。食べ終わって店を出たとき、「今晩、時間ある?」と訊いてきた。

夕方会社を出ると三ツ桃さんの運転する車で国道を走った。車内はかすかな音でラジオが流れていた。信号待ちでウインカーの音がやけに大きく聞こえた。

「その人格、どうしたの」

「磨いたんです」

「そう」

会話はそれだけだった。運転している三ツ桃さんの横顔を見ると、歯を食いしばっているのか、顎の筋肉がやけに緊張していた。

夕闇が濃くなった頃、車は砂利の引いてある空き地のような所に入り、停まった。廃車や鉄屑が大量に積んであった。三ツ桃さんはトランクから棒のようなものを取り出し、からんと地面に投げてよこした。それは木刀だった。

三ツ桃さんは自分木刀を上段に構え、タクェッと叫びながら振りかかってきた。拾った木刀で受け止めると、乾いた木と木が当たる音がした。そのまま横になぎ払うと、三ツ桃さんは後ろに飛びすさった。向けあった剣先を中心に、私たちは円を描くようにすり足で歩いた。つむじ風が古い落ち葉を吹き上げる。人格卓越の戦いはまだ始まったばかりだ。

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