2021-01-18

「それは運命から」と言って、他人の不幸に共感を示さな

うちの親は他人の不幸に共感を示さない人だった。

ニュースの中では、事件事故などで誰かが死ぬという不幸な項目もあるが、

それを見て述べる「かわいそうだね」という素朴な私の言葉に対し、

親は「それはその人の運命から」と言って、憐れみを示すことはなかった。

一度だけ、その言葉意味合いを聞いたことがある。

いわく、人間の不幸はその人の運命なのだから、かわいそうなことではない。

その人が受けるべき運命を受けるだけだから他人には仕方のないことなのであって、

それは誰かが助ける対象ではない。その人自身がなんとかすべきである、とのことだそうだ。

どうやら、被害者が何も悪いことをしていなくても、その人が存在している「運命」のものが不幸の原因であるようなのだ

親のこのような発想は、被害者への共感を削ぎ、それこそ新たな不幸の発生源に成りうる

と思うのだが、どうすれば変えることができるのだろう。

誰も悪くなくても、「運命」でなくとも、不幸は発生しうることをどうやって示せば理解してもらえるのだろう。

(そうだ。あの浄土真宗増田にでも質問してみればよかったが、ピークが過ぎたのでトラバしてももう無理だろな。)

ちなみに、「運命」とは言っているが、うちの母親特定宗教観を持つわけではなかったので、

おそらく、自分の不幸が結局救われなかった辛い経験があり、それを宗教的理路とは関係なく、

何者かが定める「運命」認識してしまったのだろうと思う。

私はそれを誤解だと思うが、まあそれも一つの価値観なのだろうと、これまで批判的に聞くことはなかった。

しかし、震災とかコロナとかを考えると、「運命」という考え方はあまりにも薄情だなと思った。

  • 手を差し伸べる手段のない、事情の分からない人間を必要以上に憐れむのも健全じゃないけどな

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