「いいね系評価」とは、個人が無限に保有していて、しかし同じ対象には1回しか与えられない評価システムのことである。(今勝手に定義した)
twitterなどのSNSのいいね、Youtubeの高評価、まとめサイトやtogetterのコメントに対するgoodなどがこれにあたる。
類似物として、はてブの星(同じ対象に何個つけてもいい)や小説家になろうの評価(1~5まで付けられる)、ニコ動のマイリスト(個人に上限があり、複数入れることもできる)がある。
これらは定義にはあたらないものの、実質的に同様の働きをしており(慣例的にはてブは星1個、なろうは4~5評価、マイリスは1回しか入れないことがほとんど)、この文章の射程に入る。
さて、いいね系評価が「辛い」というのは、結局、「1個1個のいいねの価値が薄くなっていく」ことにある。
自分などは少しでも共感ないし関心すると、いいね系評価をつけてしまう。その結果、絨毯爆撃のように同じような対象に評価を付けまくることになる。
こうなってしまう人はおそらく、少なくないどころか多数派なのではないだろうか。
そうするとどうしても、いわゆる「いいねを100回押したい」みたいなやつが出てくる。こうなった時にそれ以上評価する手段がない。
過去につけてきたどうでもいい「いいね」が、本当につけたい「いいね」の価値を下げてしまう。
これとあれに同じ評価を付ける自分が許せなくなる。自分で自分の首を絞めている。
しかし、そうだからと言って評価の閾値を上げればいいというものではない。
本当にいい物だけに評価をつけるようにすれば、自分の中での評価のバランスは保てるかもしれないが、他の人とのバランスが保てない。
相変わらずどうでもいい「いいね」を付け続ける他人と、厳選に厳選を重ねた自分の「いいね」が同じ価値。
つまり馬鹿馬鹿しいことだが、自らの意志で自分と他人の間に「一票の格差」を作ってしまっていることになる。
これもやはり辛い。
自分は、SNS系サイトの評価システムは、個人が無限に持てないように、かつ、同じ対象に何度もつけられるようにしてほしい。
ニジエの抜いたボタン好き
確かに一日に抜ける回数に限度はあるから元増田の望むシステムになってるな
10倍いいと思ったら感想コメント書いてはどうか
「たくさん評価したい理由」は究極最終的には相手にとってはどうでもよく、自分のためだからねえ おそとで喋ってもいい公共的作品ならレビューでもして発散するのはどうだろうかね
サブ垢100個持てば解決するだけの話
別に格差とかないと思うし、良かったら後で見るかもだからそのストックリスト程度でしかない 100回押したいくらいならコメント書けばいいよ あちこちとりあえずいいねするような...