2018-07-10

anond:20180708114227

なんでその方向に展開しちゃうかな?

まず演歌を持ち出した時点で元増田伝統とは何ぞやの問題提起として計算が足りないのよ。はっきりいって。

例えば民謡って文化があって、正調民謡とか民謡保存会とかそういった周縁から伝統の正体を読み解こうって話なら俺も賛同するわけ。

元増田の言い分にもマッチする。

まぁ、もう先行研究あるけどね。

演歌に関して言うと成立過程特殊すぎる。色々な古典から借用した表現コラージュとも言える箇所も多い。

じゃあその借用の元となったフレーズは何なのか?なぜその表現が借用されたのか?どんな意図を狙ったものか?

そこを丁寧に譜例で追ってこそ音楽学醍醐味と思うのね俺は。

山口センセは学際的研究って言ってたけど、めちゃ多岐に渡る分野の積み重ねがないとこれは分析できない。

スティーブン・フェルドのカルリ音楽研究はその意味ですごい。

西洋的な音楽基準部族社会音楽分析しても意味ないですよという事を決定づけた名著。未読なら是非。

話がそれた。

俺も若い頃は西洋音楽ってどうなの?という問題意識があって民族音楽研究に足突っ込んだが、こと音楽の体系的な教育としての西洋音楽はとにかく便利なんだな。

西洋音楽システムというものキリスト教布教とセットになってて(聖歌とかな)、とにかく分かりやす再現やすい方向に特化している。

となると、やはり教育の分野で強い。そうなると大抵の社会は影響は受けちゃうわな。

純粋なる民族性幻想って話はここにつながるのね。

いざ秘境の奥地にフィールドワーク行ったら部族ラジオで最新のヒップホップ聴いてましたみたいな笑い話もよく聞く話でさ。

ここで問題として掘り下げるなら、演歌にどんな美意識規範根底にあるかって話よ。西洋音楽の影響がどうこう言っても、それでも生きている何かしらはあるわけで。何でもかんでも西洋音楽の影響がってのは筋が悪すぎるし、先行研究読んでないバカ乙で話が終わってしまう。

共同幻想とは何か?

これですよ。この問いが我々を突き動かすわけですよ。

  • 音楽学者の輪島さんや増田さん(増田じゃない方の増田さんね)は、「演歌は日本の伝統ではない」みたいな言い方をしていて、 さらにネット上では、輪島さんや増田さんが「ザ・音楽...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん