人の幸せとか不幸せとか、正しいとか間違っているとか、そういう価値観は結構相対的で、環境や時代によって移り変わるものだと思います。
そういう相対的なものは計りづらいので、絶対的な何かの基準を導入しましょう、というのが宗教なのでしょう。
それって実は結構科学的なアプローチだと思います。グラフに原点を導入したのと同じ考え方です。
そうした絶対的な何かの基準があると何が便利なのか?aとbを正しく比較することができます。自分とあの人、どちらの方がより幸せなのか比較できてしまうのです!自分とこの人、どちらの方がより正しいのか比較できてしまうのです!
普通の人なら、その比較が醜悪なものであることがわかるでしょう。
しかし宗教を否定するなら、揺れ動く価値観の中でどれが正しくどれが幸せなのかを自分で見定めなければなりません。これはなかなか難しい。
自分が幸せだと思うことが他人にとっての不幸である世界で、自分を保ち続ける自制心がどれだけ貴重なことか。正直、これができる人はちょっと普通じゃないと思います。
では、宗教が醜悪であることを知っているけれど相対的な価値観の中で自分を保ち続けることができない一般ピーポーのあなたには何がオススメなのか?
それは、AIです!
人の心の平和はインプットによって大きく乱れます。宗教は、その乱れた心を原点から測り定量化することで心の平穏を得ようとするものでした。自制心を保つことは、乱れた心を自分の中の理論でもって処理をし心の平穏を得るものでした。
しかしAIの革新性は、インプットそのものを制御できることにあります。自分の心が乱れる情報は初めからインプットしない!これ最強!情報フィルタリングAIを使えばそうしたことが可能になるのです。
これはもう始まってしまった未来です。今はまだネット以外のところから得る情報が多いのでそんな実感はないかもしれませんが、将来的にネットから得る情報の割合が増えれば増えるほどフィルタリングが有効に働き、人々の心は平和に近づいていくことでしょう。
これはもう始まってしまった未来なのです。あとどのくらいの月日が必要なのかはわかりませんが、AIが新たな人間よりも上位の概念として神格化される未来は避けようがないでしょう。