自分はそこそこ能力体力もあって、努力もしてきたし環境にも恵まれ、成果も出してきた。なのに、なかなか生活が辛い。主観的には恵まれてると感じているのだけど、収入は大卒平均程度だし、住んでいる住居は築40年超のボロボロだ。自分が満足してるからいいや、と思ってたのだけど、妻や子どもがその環境に満足しているかというと微妙である。収入はやはり最も一般性のある幸せの基準だ。
ふと振り返ると自分よりも学力評価が低かった人がいたことを思い出す。彼らははたして、安定して幸せな生活を送っているのだろうか。
学力というのは目安の一つに過ぎず、中学校の広域テストで偏差値50以下だったとしても大した問題ではないのかもしれない。真面目さや性格など、他の要因で十分カバーできるような適当な仕事があるのかもしれないし、自分には想像もつかない手段で荒稼ぎしている人がいるのかもしれない。あるいは、そもそも収入はなくても楽しく暮らす人々がいるのかもしれない。地元に根をはやし、実家で代々暮らすような、自給自足に近い生活があるのかもしれない。
学力というのは本人や家族の努力よりも偶然が大きく左右するのだとすれば、偏差値が50以下になる確率はかなり高い。毎朝元気に小学校に通っている子どもを見るが、その半分は偏差値50以下と判定されるのだ。この子どもたちが将来にわたって、ある程度幸せな人生を送れるという説明がほしい。
自分が努力して苦労して学力を維持して結果を出した。それでもなんか生活の質が低いと感じるのは結局年収がぱっとしなかったり、人間偏差値みたいなものが低いからなんだよ、というふうに説得されたい。