2011日3月9日は癌を患っていた私の母が安らかに逝った命日なんだが、慌ただしく葬儀の準備契約を済ませたところに大震災が来た。
葬儀社も震災による被害を受けて壊滅、列席予定だった人たちも多く亡くなり、私の母の葬式どころではなくなってしまった。
幸いにも遺体の安置されていた斎場は高台にあったので津波にさらわれずに済んだが、生きているものが優先される中で遺体は放置せざるを得ず母の遺体はそこに放置された。
ようやく母の遺体を回収したのは一ヶ月も過ぎた頃で、腐敗が進んで酷い状態だったので、葬式もあげずにそのまま県外の火葬場へと直行して、私の手元には小さな骨壷が一つ残っただけだ。
あれから5年が経過しようとしていて、震災で亡くなった沢山の方々を偲ぶ気持ちは私に当然あるし、友人や親戚も数多く亡くなった悲しみはある。
私の母が癌で死んだことを知っている人間がもう五年も経つのかと話題に上げ線香をあげにきてくれることは無いが、震災で亡くなった人は毎年のように慰霊祭やらで弔ってもらえる。
日航機の件でもそうだが、おそらく今後数十年以上はこの慰霊祭が毎年行われて、テレビで報道され、後世の人達が震災で亡くなった方々を偲ぶことだろう。
だがそこに私の母は入っていない。
金はあるが数年後に迫った定年退職後の余生を考えると、母の墓を守る人は遠からずいなくなるだろうし、私を弔ってくれる子供や家族はもういない。
なぜ大震災で亡くなった方々は毎年弔ってもらえるんだろうか。
311が近づいてその話題が毎年のぼるたびに私の心は嫉妬にも似た忸怩たる思いであふれるのだ。
死んだ人間には何の意味もないかもしれないが、すべての人が死ぬことを受け入れた上で指摘するなら、震災で死んだ人は幸せだ。
死んだあとも半永久的に弔ってもらえるし、それが忘れ去られるには相当の年月がいるだろうから、その間はずっと遺族や関係のない国民まで覚えていてくれて弔ってくれる。
私の母は、私は、遠からず誰も弔ってくれない無縁仏になるだろう。
寺に全額遺産を寄進して永年供養をお願いしてはあるが、どうしても私の頭からもし母が震災で死んでいたら、と思わずに入られないのだ。
死者の供養には水素水がきくよ
かーちゃんが生きてたらビンタされてるだろうな
え?だって癌で亡くなった人と震災で亡くなった人は全然違うじゃん 釈然としないも何も死因が全く違うんだから当たり前のことでしょ 結婚できなくて1人だったことも冒頭のはなしと...
わかる。一人死んでも1000万人死んでも一人一人からしたら一回の死なのに 同時に死んだほうが偉いみたいな風潮はなんでなんだろ。 合算したら無慈悲に交通事故死んでる人数のほうが...
ブックバカーどもが酷すぎる こいつら死後の世界を信じてるっぽいぜ・・・ 死んだら本人はそこで終わりだ 供養の有無なんて意味ないよ
お前に弔ってもらっているからいいじゃん
寺に寄進?オワコンお寺の宣伝かよ。読んで損した。
お母さんは良く分からない有象無象に弔ってもらうより、増田1人が生きている間に精一杯伴って上げたほうが幸せだと思うよ。 増田はこれからの人生の中で、自分を弔ってくれる人が1...
死後に幸せを感じると思ってるの? 君ニセ科学を否定してないよね?
そもそも、人は、死後だれかに弔ってもらうことが幸せなのだろうか? 無縁仏だと不幸なのだろうか?