2015-09-12

昨日、twitterを消した。

昨日、twitterを消した。といっても、アカウントを消したわけでもないし、ツイッター社の偉い人を暗殺したわけでもない。スマートフォンに入っているtwitterアプリを消しただけだ。

最近は昔に比べてもtwitter書き込み回数が減っていたし、オフ会なんかに行くことも少なくなっていたから、アプリを消したくらいではたいしたことはないだろうと思っていた。それなのに、禁断症状が止まらない。twitterアプリの表示されていた場所を何度もタップしてしまう。まるで自分が全世界から見捨てられたようで、つねに孤独さを感じる。

アルバイトをしていても、大学の集まりに出席しても、twitterを開きたいということばかり考えてしまう。昨日まで、つぶやくことがないということばかり考えていたのに、どんどんつぶやきたいことが溜まっていく。何かを考えて、140字に表現する、という過程が、自分生活リズムの中に深く組み込まれていることを実感する。

このさびしさは、twitterでない何かで埋められるべきなのかもしれない。たとえば、恋人をつくるとか、友達を増やすとか。でも高校の時以来、恋人とも友達ともtwitterでばかり連絡を取ってきた。同じ学校の人でも、twitterをやっていない人とは仲良くなれなかった。それ以外のコミュニケーションの仕方を思い出せない。

逆に考えれば、こんな自分を変えるチャンスなのかもしれない。そもそも、twitterを開いてさびしさを紛らわすことができたのは、何年も前の話だったような気もする。最近の子LINEばかりでtwitterをやらないし、それでもtwitterをやるようなやつはひねくれものばかりだ。私も素直にLINEに移るべきなのだろうか。友達欄には10人も名前がないけど。

どうしてこんなに悲しい生を送ってきてしまったのだろうか。どうしてこんなに時代遅れ人間になってしまったのだろうか。どこにもつぶやけない悲しみが、心の中のタイムラインに溜まっていく。

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