2014-05-10

婚活の徒労の果て

婚活に疲れ果て、退場予定の中年男のモノローグです。

うまく行く行かないは個人の資質に寄るところが大きいので、結局は、自分にそういう能力が無いから相手が見つからない、相手と交際が続かないという結論になってしまうのですが、数年間の活動期間を通じて感じる事は、

「なんで、こんなに疲労感がたまるのか?」

という事。正直、お見合いをして、交際を開始して、相手の人となりを知っていく過程を踏んでいっても「全然楽しくない」。半ば無理矢理自分を盛り上げて、相手が居るのだからこじつけ楽しい振りをしているだけの様な感じでした。

その後、下記の記事を読んで凄く納得したわけです。

http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2013/02/20/122213

その後、記事を書かれた方は婚活を再開したようですが、やはり、ある種の割の合わなさを感じているようです。

結局、自力で相手を見つけられず、婚期なぞとっくに通り越してしまった自分にとって、結婚相談所というのは「最後の砦」のようなもので、そこで行われている事に全く馴染めずに脱落しつつある自分を認められないだけなのかも知れません。

結婚相談所に登録すると、自分スペック不特定の異性に対して晒す事になり、自分商品価値を嫌と言うほど思い知る事になります。更に、元々商品価値の低いものを陳列するわけですから、「ディスカウント」しなければ売れません。ここで、相談から色々と「現実的」な提案が出てきて、物わかりの良い人は妥協と諦めの先にパートナーを得る事となります。諦めの悪い人はいつまでも強気の値段をぶら下げたまま商品棚に残り続ける事となります

お見合いの風習が廃れ、代わりにこの手の結婚相談所が台頭し、それによって以前の既婚率に戻るかというと、それは無いでしょう。出会いの少ない人が相談所を通して出会い確率を上げるという意味では、それなりに機能はするとは思いますが、成婚に至るまでの廻りの圧力がまるで違います。いくつかのケースでその様子を見てきましたが、外堀を埋められて離れられなくなる圧力凄さというか、当人同士の気持ちなんぞどうでも良いという残酷さを見せつけられた気がしました。

その点、相談所を経由した場合、本人次第であるから楽といえば楽です。ただし、商品価値自分の思っている以上に無いので、結婚することを目標とするのであれば、ハードルを下げるだけ下げ、相談所の言う「現実的な提案」に乗る事。何年も続ける活動では無いし、何より、加齢による劣化容赦なく進行します。何より、加齢よりも「夢」や「希望」がどんどん潰えていくので、目標を達成する前に神経が擦り切れてしまったら、一体、何のための努力だったのか、わからなくなってしまます

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