幸い、都内の区立図書館から徒歩数分の場所に住んでいるので、毎週通って、1週間で7冊[1日1冊]のペースで読破している。
だが、自分もいいオッサンになっていて、今のペースだと、死ぬまでに読める本の冊数は、せいぜい1~2万冊だろう。
徒歩数分の図書館は中央図書館じゃなくサテライト図書館だが、調べてみると蔵書は9万冊らしい。
つまり、自分は死ぬまでに、この図書館の本をすべて読破することは不可能。
逆に言えば、この図書館で、生きている間に読むことができるのは、1~2割の本でしかない。
「この本は、生きている間に読むべき1~2割の本に該当するか?」ということを、常に意識しながら借りている。
「右隣の本より、左隣の本より、上隣の本より、下隣の本より、魅力的を思われる本」を厳選して借りるようにしなきゃ、「間に合わない」のである。
そう考えると、若いころにゲームにハマったり、通勤途中に日刊ゲンダイみたいなタブロイドを買って暇つぶししていた過去が、
「勿体なく」感じてしまった。
せめて大学生の頃までに読書週間を身に付けておけば、人生で読破できた本の総量は、1万冊程度上積みできたのに・・・
現代みたいな「本も溢れている、ゲームも溢れている、ネットは指数関数的に溢れている」時代においては、
むしろ「あなた方は、人生の間に摂取できる情報は、全情報量の1%もありません。なので、厳選した情報を摂取しましょう」という
「情報を厳選摂取する教育」あるいは「人生の時間の有限性を説く教育」というのが、重要になってくるのでは?
戦前みたいに「図書館の蔵書数もたかが知れていた」時代であれば、(特に厳選作業を経ずに)行き当たりばったりで読書していても
そんなに問題はなかった(=人生を費やせば、大体の本を読破できた)のだが、今みたいに蔵書数が指数関数的に増大した社会では、
時は金なりって諺なら小学生でも知ってそうだが 本人に理解できる素地が整わないと実感できないもんよ しかし最近読書に目覚めたのか 次は読んだ本の内容をさっぱり覚えていない...
おまえがまずやるべきことは何をナス科だ。 ついで、どの学問で一番になれるか考えることだ。
ショウペンハウエル「読書について」を思い出した。