2013-08-28

”ヤリサー”という言葉今日初めて知った

今日ネット徘徊しているととあるブログにヤリサーに入った大学生の話が書いてあった。

その大学生は、その"ヤリサー"に入り、毎日たくさんの女性セックスをしているらしい。

一方、私は童貞だ。

大学回生の今になるまでセックスを一度もしたことがない。

性欲が無いわけではない。ほぼ毎日オナニーをして自分を慰めている。

そんな私は彼に対し嫉妬を覚えた。

そして自己弁護を図った。

まずこう考えた、

貞操観念が無い彼は禄な人生を歩まないはずだ。」

しかし、私は毎日オナニーをしているわけで、セックスする機会があるのならばセックスがしたい。

これでは自己弁護は図れない。次にこう考えた

毎日セックスをしている彼はセックスの味に慣れている。幸福度は私のするオナニーと同等である。」

これが一番もっともらしく、私には一番納得できた。

人生幸福は相対的なものから生まれるというのが私の持論だ。

良いものは、世界普通のものが溢れており、それがスタンダードとなっているから、

その良いものが良いものであることができるのである

良いもの世界に溢れたらそれは良いものではなくなる。

幸福も一緒だ。

楽しいことが人生に溢れたらそれは楽しいことではなくなる。

日常のなか、たまに楽しいことが起きるからそれは楽しいといえるのだ。

まりセックスに溢れた人生セックスに喜びを感じづらくなるだろうということだ。

この考えは私のような凡人にとって非常に心強い。

あらゆる分野で自分より恵まれている人間は常に存在する。

金、地位、名誉、女、衣食住、・・・etc

いちいち嫉妬を覚えていてはきりがない。

この考えをもってすれば、すべてに嫉妬を抱かずにすむ。

これを見ている凡人たちよ(特に童貞)、この哲学をうけとりたまえ。

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