私は低所得者が嫌いだ。特に低所得者であることに居直り周囲を巻き込んでまで社会の批判に余念がない人達だ。
低所得者というとあまりに包括的な表現なので意味を明確にしておく。しかし自分は低所得者じゃないのであまり詳しいわけではない。これが少しでも局所的な意味にするため。
ここで言う"低所得者"とは主に給与所得の低いものであり、ブラック会社に勤務などしている人達だ。
結論から言うと低所得者は極力社会に関わらなければいいと思う。少なくとも迷惑や厄介にならない程度ならご自由に構わない。
周りに好き好んで扶養してくれる人達が居るのならば、その人達とだけ関わってくれればなんの問題もない。
だが公共の場や議論などで、低所得者の人権だの、差別だの声を大にしている奴を見ているととても腹が立つ。
とても厄介だ。邪魔だ。消えてほしい。
しかもメディアに出て「低所得者が何不自由なく生きられる社会をよこせ」とか言及してる奴は論外だ。
人間みな平等であるはずがない。そうで有るように近づけようとはするがそれは限界がある。
能力的なところから言えば低所得者は自然の摂理的には淘汰されるべき存在であるとも思っている。
本当に人間みな平等であろうと考えているのならば、例えばあらゆる仕事の生産性はもっともっと高いはずである。
しかしそうではない。必ず低所得者とそうでない者の壁はある。低所得者はこの社会において一般的な所得者と同じ業務が出来ない、つまり社会は低所得者基準ではないのだ。それは"仕方のないこと"であると思う。
それなのに低所得者というものは「自分たちは受け入れられない。差別されている。」と謎のことをいう。受け入れられてないのは当たり前だ。
もう一度言うが本質的に淘汰されるべき存在なのであって、淘汰されることは仕方ないことなのだ。
低所得者が声を大にしていいのは、周りに迷惑または厄介にならない程度にしてほしい。
ここで問題になるのが、では低所得者は死ぬしかないのかという話なのかという部分だ。
そうではない。家族に扶養されるなり生活保護なり生きる場はあるし、それは周りの力の問題だろう。
仮に周りが居ないとすれば、その人はもうこの社会では生きてはいけないと思う。
きっと多数の批判か無視されると思うが、低所得者の人達は"このように"思ってる人が居ることを知ってほしい。知った上で行動を今一度考えてほしい。