2011-07-31

金銭と幸福論に対する価値観

掲示板の某板に、

(年収200万以下の人「世の中はやはりお金だと感じている」)

というスレッドが立てられ、お決まりの如く金銭と幸福感への不毛な議論が繰り返されました。

金銭・・・言わば収入の事ですが、収入幸福感の関連性は

個人個人によって異なるのは当たり前。

高額年収でも、更に金を求める者もいれば現状に満足する者もいて、

中には半額以下に年収が下がってもよいから自由と時間が欲しい者もいる。

低額年収でもっと金を求めたい気持ちを抱いてる者、現状に満足している者。


個人例を挙げればキリがないほど、価値観や思想は個人個人で異なる。

それなのにこういうテーマが出来ると、毎度の事不毛な議論は続く。

収入でも満足している者を見下し否定し、金を求める自己を肯定しようとする者、

自分の例を出し「金なくても幸せだよ」と偏見を解こうとする者。


お金幸福感の話は、ある種の宗教観にも似ていると思う。

思想が違う者同士、相通じ合うことは困難だ。


また、お金は最も大切か否かを語る際に

どの方向から捉えるかでも異なる。

お金は何かをするために必要な大事なツールではあるが、

事柄によってはお金以上に大事ものもある。

水と空気、どちらが大事かという話にも似ていると思う。

どちらも大事で、どちらを欠いても生きていけない。

しかお金という価値は動的なものなのでお金そのもの価値がなくなる時代もあり得る。

お金が一番大事派は、もちろん「現在に限定して」が前提でしょう。

・この時代の、この国の、この社会においてという視点からなのか

・時代関係なく地球上の1生物である人間としての視点からなのか

根本はこの違いではないでしょうか。


そして、お金自分自身の直接的な関連性だけに限定するのか、

社会全体には必要だという相対的な関連性から語っているのかでも異なる。

自身の収入は低いが自分幸福であるという感情は前者での視点。

世間に金があり、どこかしらでその恩恵を受けているか収入が低くても幸福でいられると考えるなら後者の視点。


とにかく、物事の捉え方や見方によって意見は異なるし、

個人個人の思想や価値観によっても当然の如く異なる。

自分の中で、自分価値観で相手を計る事はできても、

自身の価値観を相手に強要したり押しつけることはできない。

からこそ相手にレッテルを貼り、自分の思想が世間的にも正しいと思おうとするが

無駄なのである

どちらの価値観が正しくもあり、間違いでもある。


物事や事柄においては世間の一般的共通価値観というもの存在するが、

ことお金幸福の度合いに関しては共通価値観というもの存在しない。

結果論でいえば、資本主義で世の中がお金至上主義で動いてるが、

それは個人個人の思想や価値観と=ではない。

毎度のことお金幸福論に対する価値観の話題は、不毛な議論である

  • 物事や事柄においては世間の一般的共通価値観というものは存在するが、 < 共通価値観とやらが金に存在しないっていうなら、他のものにだって存在しねーよ。同じだ同じ。

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