…の、茂みの、中、ってことでしょ
なるだけわかりやすく書こうと努めてるんですよ、日記でも。
で、あんまりポピュラーじゃない概念とか用語は極力避けてるんです。その分、若干議論は雑になるわけだけど、それより沢山の人に理解できるほうを優先するんです。
で、話の骨子を理解してくれる人が多くなるのはいいんだけど、専門用語やなんかを使わないばっかりに
「この人は○○を聞いたことがないのかな?」
とか
「そういう話は△△を読んでからにしたほうがいい」
とか
「××抜きにして議論しても意味ない」
とか言われたりする。
うーん、確かにそこは飛ばして書いたけど、それは飛ばしても議論の大きな流れには影響ないからであって、というかむしろ、それにこだわってると話がわかりづらくなるからで…
ま、一つには、雑な議論がもつ危険性に(不必要なほど)敏感な人も結構いるってことだろうけど、もう一方には「優越感ゲーム」っていう要素もあるんだろうなぁ。いや別に無知と思われるのは構わないんですけど。実際無知だし。
あなたの言うソレは知ってるけどね。
まず人間と動物(ここでは人間を含まないということにして)の違いは
理性を持っているか持っていないかとされている(少なくとも人間の間では).
理性「感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力」(goo 辞書より)
その一点だけが理由かどうかは自分には分からないが,
< 引用 >--
神はまた言われた,
「われわれのかたちに,われわれにかたどって人を造り,
これに海の魚と,空の鳥と,家畜と,地のすべての獣と,
地のすべての這うものとを治めさせよう」
--
となっている.
人間は「動物の生死を自由にしてよい」という暗黙の了解があるように思う.
それと同時に「動物を管理する」という役割も担っている.
1)人間が生きる為に理由があって動物を殺すのは「正義」だとみなされる.
2)動物を理由なく無差別に殺害するのは犯罪であり「悪」とされる(よね?).
2)のような行為を行うのは
「感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力」を失っている,
つまり「理性」を失っているとみなされる.人間唯一の能力を失っていた時点で
その人は人間である為の条件を満たしていないとみなされ裁かれてしまう.
と,ここまでは一般的に人間が動物を殺してよい理由だと思っているが,
基本的に人間はどんな理由があろうと人間を殺してはならないとされている.
人を殺すのはその人の「理性」を殺すことであり「悪」とされる.
という考え方はどうだろう??
(では「理性」を失った人間を殺してもいいのかという新たな疑問がわくが…)
いろいろなものが仰々しくて、ちょっとしたことをするのにも面倒くさい手順踏まないといけないんだけど、
その分余計なことを考えなくてもいい環境だったりして
一旦できちゃったもんは仕方ない、炎症が治まるまで緩和治療しながら待つしかないが、
治ったら、今後は清潔に保つよう心がけるんだね。ゼロとは言わないが、かなりできにくくなる。
教えてくれてありがとう。でもそういうのって本によって違ったりするよね。
どれを信じたらいいのかわからないんだけど、どこの誰が書いたマナーが統一基準なの?
マナーだからといって平気で他の人にも守ることを押し付けたりできると思ってる人がいることがおかしいと言ってます。
あと、無批判に受け入れる(受け入れさせる)マナーのメカニズムがいやなだけ。
あとコピペになりますが
>マナーは役に立たないなんて誰も言ってないよ。
企画書で使われていた「梗概」ということばを、営業がだれひとりとして読めもしなかったし、意味も知らなかった。どころか、だれも知らないような難しいことばを使うなとエライ人から叱責された。「シノプシス」ということばをもう何年も使っているはずなのに、おかしいね。
ふつうは「梗概」を知らない奴が失笑されるんだけどな。
ちなみにこれは出版社での話だそうで。
「二次創作をする」という行為には、自分のコードにある作品を置き換えて表現しなおすことである創作物を所有したい、という願望が付いて回っているように思う。しかし、「二次創作」の存在が加速度級数的に増加すると、ある創作物の二次創作全体を自分の視野におさめることが不可能になる。つまり、各個人が所有欲を満たすために行った創作が、結果的には所有願望の達成を不可能にしてしまう、という帰結をもたらすということだ。
それでは、このような状況下でもある創作物への所有願望を諦めない場合、どのような行動の選択肢があるのだろう。
ひとつ思いつくのは、「どのようにすれば」ではなく、結果的に「そうなってしまう」ことを目指す、という方向性だろうか。ソクラテスに対するプラトンのように。ヘーゲルに対するマルクスのように。ある創造物を解釈する際に無視できない参照項となりうる自分というものを、重厚な解釈の呈示に加えて、政治的パフォーマンスも駆使して積極的に打ち立てる、という方向性。これは、『涼宮ハルヒの憂鬱』における、谷川流と京都アニメーションないし角川エンタテインメントの関係に置き換えても良い。アニメ版『ハルヒ』ないしその副産物であるメディアミックス商品は、もはや「涼宮ハルヒ」シリーズを解釈するにあたって、谷川の手によるテクストとほぼ同等に扱われてしまっている。これらはどれも「結果としてそうなった」のであって、最初からそうなることを確信し、目指されたわけではないだろう。
とても狭い範囲でのマナー(茶道とかそういうの)と受け取っている
のだけど、それでいいのかな。
もしそうだとしても、それはある程度の限定つきで共有されているよね。
いいえ。
マナーという言葉で示されるものの明文化されたものは書店でも手に入りますよ。
食事のマナー一つとっても各国によって違いがあるし、茶道だって表や裏とか色々流派があって、さらに地方によって違う作法があったりもする。
国や宗教や文化でも違いますし、TPOでも違いが有るのはまったく同意します。
だからその時のその場に応じたマナーというものが適用されるのでしょう。だけどその場によって違うからマナーなんて意味が無いという誤解があったとしたら、それは違うと思います。
常識が違う人間が集まってるのがこの世界なのだから、皆が同じ正しい「お作法」に従って生きている世界なんてありえないし、考えただけで吐き気がしそう。知らない人間がその人の尺度で決めたことをよく無批判に受け入れられるね。軍隊の規律訓練を思い出すよ。
軍隊の規律訓練だからマナーは良くない。という印象や理論展開が変なのです。マナーは「こういう場ではこういうお作法を良いこととする」と人間が強引に決めたものから来ていますから、軍隊の規律と仕組みとしては同じなのです。
どう感じるかなんて自由だし、多少迷惑をかけて生きたっていいと思う。そういうのが本来の世界で、人間では?と思うし。
「多少迷惑をかけて生きたっていい」という生き方のポリシーと「マナー」は衝突しません。
あなたが言っているのは「他人に迷惑かけるな!マナーだから守れ!」と押し付ける人への批判ですよね。それはマナーを誤用していることを批判すべきであって、マナーそのものは関係ありません。
気になって自分の大学の偏差値調べてみたらすごい低いのな。底辺の高校行った友達の行ったとこより低い。母校の高校からは結構いいところに出てるのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう俺。とか考えている。
少なくとも中学時代は平均値に居た気がする。いやこれでもはてなの頭のいい皆さんからすると低いのだろうけれど。
ザッと調べてみると工学部って基本的に偏差値低いのな。少し安心した
そういえば親の学歴はそれぞれ高卒と短大卒だし、教育に熱心ではなかったし、それでも裕福なふりが出来るくらいは金があったし、でも兄貴はそこそこいいとこ行ったし高校もそこそこいいとこだったのでこれは却下
そうだ、当初は専門学校行こうと思ってたんだった。え?それは高校と関係ない?なに~!
高校とか、あんま好きじゃなかったなぁ。きっと大学も同じだろうな、とか考えて大学は視野になかった。でも大学に行ってる俺。やっぱり好きじゃない。学校と言う環境が合わないのか知らん。でも、専門学校ってどうなの?聞くところによると辞める人が多いっていうけど。
就職って手もあったけど金もらって働く自信もなかったし、どうせ製造業だったし。
こら!己の実力わかってんのか!あんなバカ大学があの高校に指定校出すんじゃない!
受験勉強やるって感じでもなかったし、蓋を開けてみると大学行く人ってクラスに5人くらいなもんだったし。
あの時インターネットで大学の情報を集めるって言って家に駆けつけてこなければ!ていうかパソコン買え!かっちまえええ!
流されて進路決める人間は甘いというレスを2ちゃんねるで見かけた。確かにその通りだと思う。
ったく、大学の情報も集めずに進路決めて、後になってグダグダ文句言ってんじゃねー!
第一、あのとき、大学行かずに何処に行くつもりだったんだ、俺は。
学校の勉強が出来るだけじゃぁ駄目なんだ
って思った
どうしても近場の人を好きになってしまう。
多分、日常に接点があって、分かち合う思い出があって、適当にやさしくしてもらって、やさしくしてあげて、一度でも笑顔を見せてくれたら、多分俺は「人形」でも好きになってしまうのだろう。
結果、会社の人を好きになってしまう。これまでに2人好きになって、2人とも辞めてしまった。俺に2人が辞めた理由はなかったが、2人が辞めた結果は残った。
何の因果か回りまわって、俺もなんだか立場がなくなっている。そして、その寂しさを分かち合えそうな相手を適当に仕事しながら、社内で探す日々。
日々は過ぎる。
社会人たる前に、人間として欠落していると思う。ただその欠落が俺らしさのようなんだ。
どうしたらいいのだろう。