はてなキーワード: 貯金とは
こんにちは、読者の皆さん。今日は私が社畜生活から抜け出してフリーランスとして独立するまでの話をしたいと思います。拙い文章ですが、お付き合いください。
まず、自己紹介ですが、私は30代の平凡なサラリーマンでした。毎日朝早くから夜遅くまで働き、休日も仕事のことが頭から離れない…そんな生活が続いていました。「これじゃ体が持たない」と思うことが増え、無力感に苛まれる日々でした。
そんな時、SNSでフリーランスとして成功している友人の投稿を目にしました。「自分もこんな風になれるのだろうか」と思い始め、一度きりの人生、挑戦してみてもいいのでは?という思いが駆けめぐりました。
最初の一歩は、とても勇気がいりました。世間の安定した職を捨てて、何の保証もないフリーランスになるなんて、周りからも反対されました。ですが、「後悔だけはしたくない」という信念で、会社を辞める決断をしました。
フリーランスとしての生活は、当然ながら最初は厳しいものでした。クライアントを見つけるのも困難で、収入が安定しないので貯金はどんどん減っていきました。それでも、自分の働き方を自分で決められる自由さが、これまで感じたことのない充実感を与えてくれました。
数ヶ月が経つと、徐々にクライアントが増え始め、収入も安定してきました。そこで感じたのは、成功のカギは「継続」と「自分を信じること」だということです。自分を信じて努力を続ければ、結果は必ずついてくるのだと実感しました。
今では、自分のペースで仕事をし、趣味の時間もしっかりと確保できるようになりました。何より、心身ともに健康でいることの大切さを再認識しました。
もし、この記事を読んで同じように悩んでいる人がいたら、「一歩踏み出してみて」と伝えたいです。もちろん、すぐに結果が出るわけではないし、リスクもあります。でも、自分を信じて努力を続ければ、きっと結果はついてきます。
これからもフリーランスとしての道を歩んでいきますが、その過程をまたここで共有できたらと思っています。長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
専業主婦です!
付き合った時県外同士ですんでて、同棲始まったあたりからそれまで働いてた仕事やめて、新しい正社の仕事見つからず、
一瞬だけ近くの工場でパートやったけど、子供できてからは仕事辞めて今に至りますね。
幼稚園とかそういう名目あるだろうけど、きっと小学校生きだしたとしても働こうって思わないんじゃないかな?
働かなくても、現状だけならギリやっていけてるけど、高校、大学って3人考えたら絶対足りない気がするんだよね。
法律の詳しいことはよくわからないが「10年間ない」ということがかえってまともに結婚生活を営めていないという認定を得やすい様な気がする。繰り返すが専門家ではないから素人の「気がする」だ。
別にお前が慰謝料をもらう気がなくても先方が請求してくるなら戦う必要はあるんじゃないかな
いやお前が有責になっても別れられるならそれでよいということなら別にいいが、そうなら弁護士立てる意味あるかなという気がするんだ
協議離婚が成立してどっちが有責とかないなら結婚してから買った家は折半でしょ 妻側が住み続けたくても結婚前からの貯金とかなくてその半分分の支払い能力がないなら売って分けるしかない
どちらかというと私が夫よりの性格で、結婚当初は元増田さんみたいに妻が苦しんでいました。私が変わるために効果があったこととなかったことをシェアしますね。
1. 離婚を前提としない、数か月から半年程度のお試し別居。お互い心の余裕が出るので、自分の行動というか認知を見直すきっかけになりました。最初はだいぶ私が別居に抵抗していたのですが、あれは今考えると悪手だったと思います。
2. 専門家のカウンセリング。カウンセラーには相性があるので、たぶん会う人を見つけるまで数か月かそれ以上かかる長期戦になります。じっくり取り組んでください。相手とファミリーカウンセリングとか受けられると理想ですが、自分が一人で行っても役に立ちます。相手を巻き込みたい場合は、自分がしんどいから付き合ってほしい、みたいな話の持っていきかたになると思います。
3. 貯金をあきらめること。別居もカウンセリングもお金がかかるので、その時期は将来のための貯金をあきらめて、さらに、ときどき月次が多少のマイナスになっても妥協することにしました。
4. 投薬。うつ状態にあるなら投薬でだいぶ心のコントロールができるようになります。症状が軽いなら数か月で薬は止められるので、選択肢に入ります。
1. 現状を変えないままの話し合い。話し合いはだいぶやりましたが、特におっしゃってるように相手が一言でキレるような状況だと、話し合いは基本疲弊するだけで先に進めません。別居とかでお互いの心の余裕が出ないと無理でした。
2. 相手の言葉を真剣にとらえること。おそらくその状況では、怒りながら言う言葉は、どの様な内容でも、「俺は尊重されていない。傷ついている」以上の意味は特にないので、会話は成立しません。相手が何を言ってもスルーして落ち着くまで物理的な距離を取るのが最善です。
3. 我慢。我慢してみたらうつ病になって状況は悪化しました。
4. 気分転換。半日の気分転換でなんとかなる状況ではありませんでした。
一番苦しい時期は乗り越え、いまは仲良し夫婦です。
一見丁寧な書き方だが、結婚当初に苦しんでいた妻への申し訳なさみたいなのが全くみじんも滲み出ていない文章で恐怖”仲良し夫婦”は本当に存在するのだろうか
全くわかってない。この記事の眼目は、「反省」とか「申し訳なく思う」とかは根の深い問題には無意味で、行動変容のみが関係を改善する、っていうことです。毎日ハッピーって顔をしていても、自分が申し訳なく思っていることは、日々の行動変容のみで十分伝わります。そもそも、大切な人が自分との関係についていつまでも申し訳なさそうにしてたとして、それを喜ぶ人がいるわけがありません。相手を思ったら申し訳なさは自分の心にしまっておこう、ってなるはずです。
俺は低身長低収入チー牛の典型的弱者男性だったけど、30歳の時に家庭の事情で地元にUターンした結果、結婚して子どもも授かったので、その経験から思ったことを書いてみる。
これはたぶん間違いない。30歳ですでに結婚は諦めてた。
休みも基本はひとり。
だけどひとりでも楽しい。
一日ふらふら遊んだあと、最寄駅近くの居酒屋で一杯やったら、もうずっとこれでも良いかなって気分になってた。
これがあと10年続いたらもうだめだったと思う。
でも田舎は何もかもが違った。
遊ぶところがない。
最近話題の美術館はもちろんないし、図書館ですら遠い。わざわざ出かけなきゃいけない上に行っても中身がしょぼい。
飲み屋もレベル低いし、車でしか行けない場所だからひとりだと飲めないし、値段が高い。
田舎はなぜか外で酒を飲むと高くつく。
とにかくヒマだ。
ヒマだと寂しくなるし人恋しくなる。
昔の人がやたらと恋愛にこだわったのは、たぶんネットやスマホがなかった頃は今よりヒマだったからなんだろう。
俺もヒマすぎてパートナー欲しくなった。
30歳が若者かどうかは意見が分かれるかもしれないが、田舎だと圧倒的に若者だし、圧倒的に数が少ない。
右を見ても左を見ても年寄りばかり。
出会いなんてなさそうに思うが、少ないと探したくなるのが人情というものなんだろう。
限られた同世代はなんか集まる。
ヒマだし。
田舎に帰るとすぐ同級生から声がかかり、そこからなんか同世代の知り合いが増えていった。
紹介してくれと頼まなくても独身だとわかると合いそうなタイプの人をなんか紹介してもらえた。
妻と出会ったのもそういう知り合いの集まり。忘年会かなんかだったはず。
都会には美男美女高学歴高収入高身長などなどたくさんの若者がいる。
レベルの低いやつはフィルターにかけられて出会いにも到達しない。
多少容姿が悪くても身長が低くても、門前払いされることはない。
そんな状況だから、都会みたいにパートナーのスペックでマウント取りあったりポケモンバトルしたりっていう文化は成立しない。
だから都会では相手にされないスペックでもパートナーが見つけられたんだと思う。
これは悪い面の方が多いんだけど、都会にはない圧がたしかに存在して、それに背中をぐいぐい押されたのは否定できない。
親や親戚、ご近所だけでなく、職場や同世代の友人たちに至るまで、結婚させようと圧をかけてくる。
妻と俺がちょっといい感じだとわかると、本当にいろんな方面から押された。
正直ウザいのも事実だが、俺みたいに煮え切らない人間にとっては背中を押されるのは良かったのかもしれないと思わなくもない。
実はこれが一番大きいかも。
東京にいた頃は常にカツカツだったのが、地元に帰ってきてからは結構貯金できるくらいに余裕ができた。
運良く地元の工場で正社員になれたとはいえ、それでもそんなに手取りは増えてない。
外食、特に外で酒飲むと高くつくけど、そもそも飲み屋が遠いので飲みに行く機会が減る。
そしてなんか野菜もらえる。
親切でくれてんのかなと思ったら、実は一度にたくさんとれて消費しきれないからくれてるらしい。
畑やってる家はどこも同じ時期に同じものが余るので、畑やってない奴は絶好の引き取り手なんだとか。
でもこれが地味に助かる。
あと、家賃。
実家出て同棲した2LDKの新築アパートは駐車場2台分付きで東京で住んでたワンルームの半分以下の家賃だった。
子どもが生まれたのを機に実家の土地に家を建てたんだけれど、2千万円で結構広い立派な家が建った。
都会だと土地すら買えん額だ。
とにかく、金の余裕は心の余裕。
都会に住んでた頃のカツカツな経済状況では結婚なんてとても考えられなかった。
非モテ弱者男性はもしかしたら田舎に引っ越したら結婚できるかも?
いや、地元とかじゃないところにいきなり行っても厳しいだろうし、仕事なかったら話にならんし、そんな簡単じゃないとは思うけど。
でも都会だと致命的になる要素が田舎だと意外と気にされなかったりする、ということだけは伝えておきたい。
社会人4年目
大学時代貯金0(貯蓄とかいう概念なく暮らしてた)から、貯金とNISA併せて400万円になっててちょっと安心した お金のことあんまり考えずに暮らしてるから、実家暮らしだしごく地味に生活してる(飲み行かない、大きい旅行行かない、大きい買い物しない)のにこの程度か〜というのはあるけど ラテマネー節約した方がいいんだろうな
突然社内ベンチャーが立ち上がってそこに1人で転属、
裁量権があるから色々なことに挑戦して欲しいって言われたんだけど、
「うちの会社のメイン事業から離れすぎている」と明らかに矛盾したことを言われるし、それでいて
「早く新しい事業を立ち上げて収益を上げろ。お前を雇っているのもただではない」とも言われる。
それから半年かけて合計20の稟議書をあげて、全部即日却下されて、本当にもう何一つアイディアが出なくなったのに、
「考えればあるはずだ。本を読め、新聞を読め、人と会話しろ、アイディアが湧かないのは探してないからだ」って言われ続けて、
もう本当にどうにもならなくなって、不眠で心療内科に通うようにもなり、このままじゃ死ぬと思って、
「もうどうしようもないので退職したいです」って上司に言ったら、
その場で退職申請書類一式セットが出てきて、退職日まで決まった。
レベル1.使い道を全部報告させる(小4くらいまで)
レベル2.3ヶ月に1回の支払いにする(中1くらいまで)
狙い:中期計画を建てさせる、散財させて後悔させる
狙い:貯金への慣れ
レベル5.お小遣いの頻度を1ヶ月にし、ランダムにする(中3)
なんかさ、一定間隔で収入がある環境で子供の頃からサラリーマンになるまで過ごすと
それが当たり前だと思いすぎるよね
仕事を完全に辞めて今月で1年半になる
昔からちょいちょい休職とか退職とか再就職とか繰り返してブランクまみれなのだけど
意外とこんな期間何もしてないのは初めてみたいだ
休職の時は毎月の職場との面談で詰められて結局数か月で復職したし
退職も何度かしたけれど就活やらなにやらでばたばたしたり長くても1年くらいで次に行くことになっていた
この1年半は本当に何もしていない
どうしたらいいかわからなくて考えたくなくてもう動きたくないというようなことすらおそらく考えていなくて何故こうなったのかよくわからない
ともかく何をするでもなく日々がずるずると過ぎていった
動かないくせに焦燥感だけはあって日々それに疲弊していたかもしれない
起きて食べてうとうとしてネットして食べて眠るだけの生活でたまにアニメ観たり観れなかったり
正直貯金もやばいし年齢的にも詰んでるけどもうどうしようもないからそれは置いておいて
最初の頃何して過ごしていたかはもう覚えてないけれど主に先述の通りで
今も大差ないがだいたい何もしたくないから布団に潜って眠れもせず何もできなかったと後悔したりするような日々を送っていた
ずっと何にも集中できずに嫌になって寝床に逃げていたので自分がそこそこの時間机の前にいられるのが意外なような不思議な気がした
そこから半年近くが経って最近やっと何かしてみようかというような気分になる……ような気がすることが稀にあるように思う
何も具体的でないしまだ何かをしたりしようとしたりしてはいない
ただ休職期間が一般的に最大で1年半あることがなんとなく腑に落ちてきている
もっと早い段階でこれができていたら現状よりましな今があったのかは何とも言えないが
とにかく今日はなんだか気分がいい
それだけ
まだ本は読めない
創作に政治的な主張がくっついてるやつ、創作が面白いから人がそれを見に来て、ついでにくっついている主張を見て「なるほどそういう考え方もあるのか」とか思って帰っていく、だと効果があると思うんだけれども
主張をするために創作をする、の場合創作そのものに情熱がないから創作が面白くなくて、感想が「主張が強かったな」だけになってしまうのかなと思った
主張ってどうしても誰が言ってるかによって受け取り方が変わってしまうと思うので、創作そのものがしょうもないと「しょうもないやつが主張が強いことを言ってるな」になってしまって、これが「アートに政治を持ち込むな」みたいな感覚になってしまうんじゃないかなと
創作に主張を持ち込むな、とは全く思わなくてそれは個々で好き勝手やればよいと思うんだけど
ただ、創作をピックアップする側が「面白い創作に主張がくっついている作品」を「主張があるから良いのだ」と認識して「しょうもない創作に主張がくっついてるやつ」をピックアップしていった結果「しょうもないものばっかり展示されている」からの「しょうもない展示って主張が強いのばっかりだな」になってしまうのが良くないんじゃないかと
個人的には面白い創作の作者に強い主張がある事自体は創作に対して前向きなことなんじゃないかと思っていて、創作に対して「我が強い人間がこだわって作りました!」みたいな印象を与えるのに効果的だとは思っているんだけど
ただこれってやっぱり創作ありきで、創作である、というところをないがしろにするのはやっぱり違うんじゃないか、という気持ちになった
それはそうとして主張は主張でどんどんしていくべきだと思っていて、芸術の文脈とは関係なくいろんな主張を見れる会、としてなにかやるのは良いと思う
会場でも「このような主張がある」を見せるためにクオリティーを上げようと思っている人たちの展示は良かった
ただこれだとみんな来ないのかもしれないけど
でもやっぱり過去の「情熱のある創作に主張がくっついてるやつ」の肩をに乗って情熱のない創作を垂れ流すと長い目で見たときに過去の貯金が失われていくんじゃないだろうか