はてなキーワード: 自習とは
老若男女カフェに惹かれるものの期待はずれになるときもままある
客層:最悪
キャバクラ勤務前のババア、どうみても給料低そうなサラリーマン、金なさそうな独居老人、キモオタなどが巣食うカフェ業界のスラム
独特の限界感を醸し出しており泣き叫ぶガキやはしゃぐ女子高生家族連れは見当たらない
コーヒーはドリップ系で値段の割には悪くないものの何故こんなにも客層が最底辺なのか
ババア会議は平日昼間には時折見かけるもののそれほど多くはない
いくら空気を読めないババアといえどもスラムの中でお茶会をやるほどのメンタルはないということか
BGMがないのは個人的に好感するもののゆっくりできるかはまた別。君は西成でゆっくりできるのかね
コーヒーフード:良
上でも書いたが廉価であっても悪くはない、ラテ、モカ、限定メニューなど商品開発に一定の予算が割かれていることがわかる
ドリップコーヒーも苦味抑えめで華やかな香りが鼻をくすぐり、決して悪くはない
フード類も定番のミルクレープを始め値段の割には味も良いし、スイートポテトなどイージーバイト系も充実
客層:中の下
ババア会議、コーヒーいっぱいで何時間も粘って自習する学生であふれている
学生は参考書を広げて入るもののその横でYoutubeの動画が流れておりどう見ても勉強しているようには見えない
サラリーマン、独居老人、キモオタはそれほど見かけず、家族連れはまれにいるもののほとんどいない
年収600万世帯のババアがちょっと背伸びして行くカフェというところか
BGMは薄くかかっているようだがそれをかき消すババアの話し声で難聴になりそう
そういえばここの経営者が一時期テレビに出ていたが最近見かけないな
シアトル系のダークロースト、エスプレッソベースのものが多い。正直値段ほどの美味しさはないと思う
味だけを求めるのであればドトールのテイクアウトのほうがまだまし。スタバをコピーしようとしてコピーしきれなかった悲しさを感じる
フード系も妙にパサついていて値段ほどの価値は感じられない
豆の販売もやっているが割高。ここで買うくらいならアマゾンで適当に見繕った豆のほうがだんぜんコスパがいい
もともと名古屋のローカル喫茶店だったのが急速に全国展開。関東の店舗では休日には入店待ちが発生するほど
客層:下の中
流行り物を経験しておきたい女子高生、ババア、部活帰りの厨房などがごったがえしている
席の間が広いのでそれほど混雑感はないがうるさいことこのうえない
ときおりガキも泣き叫んでおり、これなら選挙カーの前にいてもそう変わらないのではと思わせる
しかも急速に店舗を拡大したせいか店員の練度も最悪であり、席が空いているにも関わらず無駄に待たせられる
コーヒーフード:最悪
うまくない割にめちゃくちゃ高い。コーヒーとシロノワールで1000円超えはやりすぎだろ
シロノワールといっても実際のところはそこらへんのスーパーでも買えるパイ記事のパンに
これまたそこらへんで買えるようなソフトクリームをのせただけ。これで800円取る名古屋人には恐れ入る
コーヒーもコメダブレンドとやらは泥水と呼んで差し支えないほどのまずさ。これで700円取る名古屋(ry
あきたので続きはまたこんど => 書いたのでよろしく anond:20240526155317
・入学後すぐに行われる考査の範囲として、新高1生には入学前に「黄色チャート1+A」を購入するよう指示されます。
・授業では黄色チャートで解法を暗記した上で、教科書と傍用問題集「オリジナル」を用いて学習を進めます。
・オリジナルは略解しかないため、授業では同時に5~7人の生徒が黒板の前で解かされ、それを教員が添削・解説を行います。
・そのため、黄色チャートで予習していないと、黒板の前で何も書くことができず恥をかくシステムです。
・黄色チャートでの解法暗記は予習として必要であり、入学後も義務自習で積極的に行うことが推奨されます。
・また、寮には「義務自習」勉強時間が19時~22時(23時まで延長可)があり、義務自習では黄色チャートや1対1の解法暗記を行います。
・いずれも、考査や週テストの範囲として指定されているため、義務自習では解法の暗記をメインに行います。
・ラ・サールのカリキュラムは30年以上変わっておらず、考査・週テストでは問題の数字を変えて出題されます。
・黄色チャート→教科書・オリジナル→1対1対応の演習→重要問題集(数研出版)が教材の軸で、全ての考査・週テで繰り返し数字を変えた問題が出題されます。
・考査・週テストにあたっては、黄色チャートや1対1の解法パターンをしっかり覚えることが重要で、義務自習の時間では主に解法の暗記を行っています。
高校生活の流れ
・高校2年からは理系と文系にクラス分けがあり、高3ではクラスの変更が可能です。
・理系と文系のクラスに分かれる高2から、数学の教師も変わり、進度も変わります。
・学習の進行は高1と同様です。高2では黄色チャートの数学2Bが配布され、教科書・オリジナルを解かされ、1対1対応の演習を暗記します。
・高3では模試が組み込まれ、考査・週テ・模試を通じて知識をアウトプットする期間となります。
・「オリジナル」は高2までで終わるため、その後は数研出版の「重要問題集」をオリジナルと同様、授業で同時に5~7人の生徒が黒板の前で解かされ、それを教員が添削・解説を行います。
・授業で同時に5~7人の生徒が黒板の前で解かされ、それを教員が添削・解説を行うという授業スタイルは、数学のほか、現代文や物理などでも行います。
・高3では模試が増え、インプットよりもアウトプットが重視されます。
・義務自習で十分なインプットを行うことで、河野玄斗氏の提唱する黄色チャートのスケジューリング(数1A 1冊を1か月で回す)が可能となっています。
13年らしい。当時小4だった俺もいつの間にか会社員になってしまった
自分は東海地方に住んでいたのでこれといって何かあったわけでもないが、忘れないうちに当時どうしてたか、忘れられないことを雑に書き留めておこうと思う。
3月11日といえば当然年度末も年度末であって、通常授業は終わっていた。
当時は確かもう5限授業になっていたはずで、普段の教室のワックスがけをやる日だった。授業は半分自習で、普段使わない教室がある旧校舎で行っていた。
今ではすっかりデブ陰キャだが自分は当時まだまだ体力があったので、5限目の間ワックスがけを手伝うメンバーに加わっていた。
で、地震が来たのはワックスがけも終わり道具を片付けに歩いている間だったはず。遠かったのもあって揺れはわからなかった(近くにいた上級生が机の下に飛び込んでいたのはよく覚えている)
「デカい地震が関東東北地方でありました(要旨)」という校内放送が数分後にあった気がする。自習は普通に続行だった。
自分は揺れが分からなかったので「まだ揺れてたりしないだろうか」と教室の壁にかかっていた防犯ブザーを眺めていて、自習は全く進まなかった覚え。(時間的に10分も授業残り時間がなかったんじゃないかな)
当時集団下校ではなかったはずなので、帰路は一人で帰ったはず?帰宅は逆算する限りちょうど15時20分ぐらいだと思う
帰宅するや否や祖母に「凄いことになってるよ」と言われTVの前に座らされて、漁港に津波が届く様子を食いつくように眺めていた。あの映像は一生忘れないと思う
(余談だけどこの映像、毎年のように探しているが未だに見つかっていない。漁港から生中継だったはずで、地上に津波が登り始めてから海岸ぐらいに止めている車が流れだすまで。流される大量の青いカゴと複数台の軽バンが真横のアングルから映っていたはず)
その日そのあと何をしたかはもう覚えていない。もっと早く書き留めておけば思い出したかもしれん
ポポポポーンよりこだまでしょうかの方が怖くて印象深かった思い出。
以上。雑書き終わり
今でこそ勉強でいい高校だの大学だの行こうって奴は基本みんな塾に行くけどさ、昔は学校の勉強と自習だけなんて奴も結構いたわけじゃん。
それと同じで、今は自分の力で恋愛して結婚するのが一応主流ってことになってるが、今後しばらくしたら自分の力でそういうコミュニケーションを身につける奴の方が珍しいみたいになるんじゃないかね?
30過ぎて結婚相談所に駆け込んでから人生を取り戻すように異性との付き合い方やそもそも人としての所作なんかを金払って学ぶんじゃもう遅い。中学校やら高校やらの頃から「他人との適切なコミュニケーションの取り方」を教える塾みたいな所にある程度通って、その辺りのことが整った状態で社会に出てくるようにそのうちなる。
だってガチの非モテって結局「モテないけど友達は多い」とかじゃなくてそもそもコミュニケーションがおかしくて友達もまともにいない奴ばっかりじゃないか。
言ってしまえば幼児の療育や小学校以降の情緒学級なんてのは他人とのコミュニケーションの取り方が大きく普通と異なる子にその齟齬を減らすための教育を施す場なんだし、精神科でやる認知行動療法なんかもその側面はあるから、その手法自体はすでにこの世の中に存在するわけで。
あとはそういった内容を薄く広く皆に適応するような教材にして、コミュニケーション塾として中高生やその親に売り込めば出来上がりじゃないか?
30超えてからいきなりコミュニケーションの勉強しようったって大変だもん。突然今までと別分野の勉強してすぐに身になるような年じゃもうないだろ。
リクルートやベネッセあたりがそのことに気づいて真面目にセミナーや教材にしはじめたらもう流れは止まらないんじゃないかと思う。ていうかもうはじまっているんじゃないか。
まず頭に入れてほしいのが、1500✖️8✖️21=252,000円という数字だ。
これが、「時給1500円未満しか払えない会社は潰れろ」のデッドライン。
https://www.jinji.go.jp/kankoku/r5/pdf/22_5kankoku_kyuuyo_bekki.pdf
(ちゃんと令和5年のバージョンだよ。ここから https://www.jinji.go.jp/kankoku/r5/r5_top.html 持ってきました)
この表の1級10号俸172,000円が高卒新規採用の初任給。1級25号俸196,200円が大卒新規採用の初任給だ。
うむ。完全にアウトだね。
全然足りていない。
まあ時給1000円のラインは超えているから「沖縄でバイトしてた方がマシ」ではないだろうね。
でも、1500円にラインを引いたらもう議論する価値さえない。カスだ。
https://www.kyoinsaiyopr.metro.tokyo.lg.jp/environment/environment.html
初任給はどれぐらい?
なんとビックリ大学卒(2級9号給)だと254,000円で最低ラインを超えるんだ!
でもこれにはからくりがある。
まあ7時半に職場に来て16時半に帰ればいいだけではあるよね。
テストの採点ぐらい自習中に終わらせればいいし、家庭訪問なんてしなけりゃいいだけだ!自助努力が足りないのが悪い!
短大卒の場合は234,100円からのスタートなのでデッドラインを下回っている。
議論の価値なし。短大しか出てないような奴に教員になる資格なし。
そんな奴を雇う連中に教育者の資格なし。あっ、これ俺が言ってることじゃなくて「はてなーが言ってる主張を元に現状の教職員供与について考えたらこういう結論になるよね」って話だから。
俺は別に実質時給1000円未満であっても子供に勉強教えてくれる人はありがたいと感じてるよー。
さて、どうする?
もう一度言う。ゴールポストを今更動かすのはナシだよ。
君たちの考えを教えて?
PS:
サラリーマンやフリーランスで社会にぶら下がってた方が脳みそ使わないで楽ちんな日本社会で経営者やってるの立派だと思います><
追記。
3. 過去問演習の採点をする人間が子どもの進度を最もよく把握できるので、それが親なら、親が残りの期間の勉強の優先順位づけをするのがベストになる。集団指導の場合、塾の先生は各児童についてそこまでの情報は持てない。
6. 偏差値は各校の人気のバロメーターにすぎない。各児童の特長や各家庭の希望と合うかは保証しない。人気のラーメン店を万人が好むわけではないのと同じ。ただし、高偏差値校だと大学受験の文理の選択が遅めになるという利点はある。また、東大志望の場合、先輩・同級生や校内模試の結果から情報を得やすいかもしれない。それ以外では、高校がどこでも、自習・塾の利用で、一般受験で東大を含むどのような大学でも合格することが可能。(それが日本の良いところ。(どの)大学に行くと良いかはまた別の話。)
7. 印刷された解答を得られるという点では、Yなど大手塾が出版する教材を使う準拠塾でもいいかもしれない。ちなみにタブレットの利用については、タブレットの速度に子どもの作業スピードを合わせなければならずストレスになるので、勧めない。色々な意味で紙の教材の方が早く、効率的なことが多い。
中学受験が終わったので、雑感の共有。聞かれれば答えるけど、聞いてくる人もいないので。
注:各家庭で状況は異なるので、「こうしなければならない」という内容ではありません。以下の雑感を参考にするかどうかは各家庭の責任で判断してください。
筆者属性: 6年夏休み前にそれぞれY偏差値50台前半、S偏差値50台前半の成績から、2/1にしか入試がない東京の中学に男女の子供が合格。
お世話になった塾: 4大大手+グノープル以外の中規模の塾
1.子供自身は 過去問演習を6年の夏休み終了近くまでやらない方が良い。模試より過去問の出来の方が合格確率の予測力が高いというのはよく言われている通り。ただし、保護者自身は新6年が始まったら出来るだけ早く、志望校の最近の過去問を複数年、自分で解くか、少なくとも答えの解説を見て、志望校の各科目の難度と出題傾向を把握し、6年後半に入って子供が何をすべきか優先順位をつけられる様にすると良い。
2. 御三家やそれに準ずる難関校を志望する場合、各校の出題傾向に合わせた準備が必要になるため、模試の結果は当てにならない。だから、大手塾のオープン模試は併願校を決めるためにあると考える方がいい。学校別模試も、最難関校の問題の類題を塾の先生が考えるのは大変なので、過去問のマイナーチェンジが出題される印象。そうすると過去問を早い時期に解いている子が高得点を取りやすくなるため、学校別模試の偏差値による合格確率の予測が頼りにならなくなる。一方、いわゆる中堅校は素直な問題を出題するため、模試の結果が参考になる。そう考えると、外部生は、志望校の難易度に関わらず、SよりYやNの模試を受けた方が良いのではないかと思った。首都圏模試は使ったことがないので不明。
3. 受験は引き算。本番の入試で100点を取る必要はないので、入試日までの残りの限られた時間の中で何ができるのか、行える作業の優先順位をつけるのが大事。塾の課題も全てやれない時は優先順位をつけて、全てをやろうとしないのが大事。また、塾の課題では足りない部分が発生することもある(後述の7に出てくる中数の利用など)。優先順位付けは、集団指導の塾では個別の生徒への対応に限りがあるので親がやる必要。一方、個別指導も、指導を受けている先生の質は実際の入試の結果が出るまでわからない。中学受験で親が重要というのはこれが理由。
4. 算理社はとにかく塾の演習授業、模試、過去問で間違えた問題はやり直すのが、入試直前期を除いて鉄則。塾で色々な問題を解くのは、どの問題ができないかを知るため。その意味では無駄も発生している。だから、できない問題がわかったら、復習しないのは勿体無い。復習の指示も親の役割。ただし、志望校の出題傾向よりもはるかに難易度が高い問題はやり直さなくてもいいかもしれない。
5. 基礎、基礎、基礎。とにかく基礎を固める。焦りがちな保護者の意識では、応用はできなくてもいいと思って良い。正答率が90%の問題でもそれが6問出れば、全問正解の確率は53%になり、勝負どころになる。基礎を固めると御三家級以外の学校は大体勝負できる様になるし、模試の結果も安定し、家庭の不安感も減る。基礎の積み上げでは志望校の難易度から現時点で到達すべき水準を逆算せず、子供の進度に合わせて併願校を変える方が良い(後述の6参照)。基礎を固めるためには前述の通り、間違えた問題のやり直しが有効。
6. (少なくとも保護者は)色々な学校を見る。偏差値が低く見える学校も、入試問題を見れば小学校の授業内容を概ね理解している子を選抜しているので、中学高校での授業が良ければ、大学入試では勝負できる様に鍛えることは可能。また、中堅校の試験問題ができれば、それ以上の難易度の入試問題で受験者の差別化をする意義はない。保護者は入試結果に楽観的にならずに、色々な学校を見ておき、併願校の選択肢を広めに持つと良い。偏差値の高低に関わらず良い学校はたくさんあるし、偏差値が高いから良い学校ということもない。実際に保護者が学校を訪問すると、その学校について色々とわかる。自分自身の見学の時は、大学受験には関係しにくい美術室と音楽室の展示が充実しているかを見るようにしていた。
7. 塾の選択。自分が使った塾は、算数の解説を配らずに答えしかプリントには載せない方針だったので、親が解説を作る必要が生じ、その点は非効率だった。一方、中数の利用法も指導してくれるなど、柔軟性は高かった。大手塾は、問題集の答えに算数の解説が載っているのでその点はやりやすいと思う。この理由により、あまり保護者が受験のサポートをできない場合は、大手塾の方がいいかもしれない。しかし、大手塾の中には上場企業もあるので、各家庭の希望と塾の姿勢が合うかは吟味が必要という印象。
8. 算数。最難関校を志望する場合は難しいが、それ以外の場合は、志望校の問題の難易度よりも少し高い難度の問題まで取り組まないと、算数の得点力が十分に上がらない印象。
9. 理社教材。保護者にとってはカラーで図表がついている自由自在が便利。自由自在は受験に特化した参考書ではないので、受験向けには不必要な記載も多いが、自由自在に載っていない内容は学習指導要領からは外れているので基礎ではないことがわかり、便利。
2024/2/18
3. 過去問演習の採点をする人間が子どもの進度を最もよく把握できるので、それが親なら、親が残りの期間の勉強の優先順位づけをするのがベストになる。集団指導の場合、塾の先生は各児童についてそこまでの情報は持てない。
6. 偏差値は各校の人気のバロメーターにすぎない。各児童の特長や各家庭の希望と合うかは保証しない。人気のラーメン店を万人が好むわけではないのと同じ。ただし、高偏差値校だと大学受験の文理の選択が遅めになるという利点はある。また、東大志望の場合、先輩・同級生や校内模試の結果から情報を得やすいかもしれない。それ以外では、高校がどこでも、自習・塾の利用で、一般受験で東大を含むどのような大学でも合格することが可能。(それが日本の良いところ。(どの)大学に行くと良いかはまた別の話。)
7. 印刷された解答を得られるという点では、Yなど大手塾が出版する教材を使う準拠塾でもいいかもしれない。ちなみにタブレットの利用については、タブレットの速度に子どもの作業スピードを合わせなければならずストレスになるので、勧めない。色々な意味で紙の教材の方が早く、効率的なことが多い。
2024/2/22
コメントに子どものモチベーションの話があったが、それはその通りで、志望校に(親に煽られてではなく)子どもが行きたいと思っているのが前提。塾の先生も6年の夏休み以降で成績が伸びるのは、志望校に行きたいという気持ちが強い子と言っていた。また、子供のモチベーションが低いのであれば良い学校はたくさんあるので、無理はさせない方針だった。
5. 志望校の試験問題の難易度で何が基礎かは変わるが、自分はプロ講師ではないので適当に、Yの模試なら正答率50%以上、Sの模試なら正答率70%を基礎問題の目安にしていた。例えばYの模試なら、正答率50%以上の問題の中で子供が間違えた問題の配点を足し上げ、「それらの問題が全部できたら、各科目の点数と総合点が何点あがるか、偏差値がどのくらい上がるか、志望校の偏差値にどれだけ近くなるか」という計算をして、子供に見せると良い。このやり方は、ポジティブな話しか出ないし、各科目であと数問正解すると総合点の偏差値が5から10くらいは簡単に上がるのが体感でき、偏差値の差が示す児童の間の理解度の差が小さいことが確認できておすすめ。子供の進度がまだ浅ければ、基礎問題の基準とする正答率の値を60、70、80、90%に上げれば良い。
生徒の「ここが分かりませーん」という質問に対してテンプレの回答を続けるだけの教師なんて必要ないだろ。
教科書をただ音読するだけ、生徒は黒板を書き写すだけ、成績の良し悪しは家の勉強時間で決まっていて、授業をマジメに聞いてるだけで満足してる奴ほどテストの点数はゴミ。
もう全部自習でいいよ。
自習で分からない所があったら教師に聞きに行くってシステムでいい。
テストやってあまりにも点数が低い奴がいたらそいつらだけは基本から口頭で質疑応答を交えながら教え直そうぜ。
あと体育の授業も座学を交えた体の動かし方講座でいいだろ。
ドリブルさえ出来ない人間とサッカー部を同じ空間で試合させるのはマジでお互いに時間の無駄だろ。
マジさ、「教室に集めて講義を口頭で行う」ってシステムはもう無意味だろ。
口頭伝達に対して全幅の信頼をおいてるのはなんで?
識字障害がある?それならなおさら中途半端に黒板や教科書を併用している授業より、それ専門の通信教育させた方がいいよね?
マジでムダじゃね?
自習としてまとめる
死者多数のものだけ
2024/1/1 能登半島地震 Mj7.6
2015/5/30 小笠原諸島西方沖で地震 Mj8.1 史上最深
2011/3/11 東日本大震災 Mj8.4 大津波 日本史上最大
2007/7/16 新潟県中越沖地震 Mj6.8
1995/1/17 阪神淡路大震災 Mj7.3 耐震強度問題
1993/7/12 北海道南西沖地震 Mj7.8 大津波30m 死者・行方不明者230人
1983/5/26 日本海中部地震 Mj7.7 大津波 死者104人
1964/6/16 新潟地震 Mj7.5
1948/6/28 福井地震 Mj7.1 死者・行方不明者数3769人 震度7が制定 複合災害
1946/12/21 南海地震 Mj8.0 死者・行方不明者1443人
1945/1/13 三河地震 Mj6.8 死者・行方不明者2306人
1944/12/7 東南海地震 Mj7.9 大津波 死者・行方不明者1223人
1933/3/3 昭和三陸地震 Mj8.1 大津波 死者・行方不明者3064人
1927/3/7 北丹後地震 Mj7.3 死者2925人
1923/9/1 関東大震災 Mj7.9 死者・行方不明者105385人 日本史上最悪
所感
死者数が増えるのは
・津波
・火災(近年は少ない)
・土砂崩れ
・避難後
戦後、大きな被災があったのはご時世もあったのだろうと考えると、東日本大震災と阪神淡路大震災が異常
・瀬戸内
日本には逃げ場がないとはよく言うが
現代においてそれでも大惨事になる場所というのは限られているとは思う
関東北部〜東北の内陸部、近畿・中国・四国の内陸部、九州北東部など
直下型地震が頻発している地域でなく、かつ沿岸部でなければ被災確率は低そう
沿岸部はチリ地震みたいな例があるのでどうしようもない、逃げ場はない
南海トラフは有名だけど個人的にはやっぱり伊勢と愛知が大人しいのが気になる
でも地震ってむしろ連鎖するから、無いなら無いで数百年行きそうでもあるよね
昭和三陸地震(1933)、明治三陸地震(1896)があったし、三陸沖は地震頻発地域なのに
何で東日本大震災であれだけ被害が出てしまったんだろうというのは結構解せない
80年も経つと忘れるというのがよくわかる
追記:伸ばすつもりはなかったので念のため半分以上削除しました。
ーーー
評判悪いのは分かってたけど、言うて令和やぞと思ってた
でも話聞くと、評判より更に悪かった
一時保護が刑務所よりキツイらしい(3人くらいに聞いたけど皆同じ意見だった、別の地区で)
あざとか傷とか見えないように隠してる
地獄だよね
児相も悪気があるわけではないんだろうけど、週に数回ヒアリングされて
上で書いたとおりなので、気分は仮釈放中の犯罪者よりしんどいだろうと思う
親が色んなことしてくれないので自分でやるしかなくて(例えば学校の手続きとか、学費の援助申請とか)
どうやって抜け出すんだこの状況
・兄弟がばらばらになる
・私物も何も持っていけない
だから嫌だとのこと
確かにこれは生きるか死ぬかの状況にでもならなきゃ選択しないね
年齢・性別で振り分けられてるのだとか
片親虐待っ子はまだ何とかなってる
(なお片方が消えたら自動的に施設行きらしい、かなりギリギリのところに居る、拒否権はない)
食べてるとしても炭水化物だけとかそういう感じ
その子は兄弟全員よりにもよって痩せの大食いらしく、ご飯と塩だけとか、パスタに塩と油だけで食べてるらしい
近所のおばさん(他人)がちょいちょい助けてくれるらしい
逆に助けたり手伝ったりということもあるとか、日本でもそういうのまだあったんだな
昔は学童保育も助けてくれたとか
それでもギリギリ、正直周囲の助けって何人か居ないと無理なんだと思う、まるっきり面倒見るわけにも行かないし
18歳で成人にしたのにね
特に高校生が意外としんどい、中学生は義務教育だからね、高校生は義務教育でもないのに人権がないっていう意味分からん存在になってる
家出もできない、知ってると思うけど家出して誰か大人の家に無断で泊まったらその人は誘拐罪になる(虐待親は気まぐれで過干渉になるらしい)
世の中がキラキラするほど憂鬱になるのは非モテだけじゃないらしい
この国は相変わらずだなと思う
まあ人のこと言えないけどね
日本の子ども支援やシングルマザー支援が薄いのは、その対象になる割合が少ないかららしい
基本無視してると言うか
____
そもそも不良の子と虐待の子を一緒に入れておくのが違和感あった
「問題児たちを集めておく施設」と捉えるとしんどさはわかるでしょう、昭和初期の学校みたいな状態
私語厳禁でトイレも自由に行けず学校にすら行かせない、ずっと自習
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414a.html
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414b.html
人手不足なのもわかるし、子供を何人も預かるならそうなるしかないというのはわかる
わかるけど経験者は「刑務所みたい」「もう行きたくない」という場所になっている
けっして避難所ではないから、虐待の気がある人に安易に「児相に相談しろ」って言えなくなった
例えば両親がいなくなったとか、一人っ子とか、いじめられてるとか、友達がいないとかならともかく
この間、ソフトバンクの孫会長が「ChatGPTを使ったことがない人は人生を悔い改めたほうがいい」と何かのプレゼンで話していたらしいことを知った。
見下されたように感じて正直腹がたったのだが、ちょうど女の子とデートする予定がありどんなお店を選べばよいのかさっぱりだったので、ChatGPTに相談してみることにした。
生涯で彼女いた事無し22歳童貞の知見では手に負えないからビッグデータに頼ったのだが?無能やん。と、その時は思った。
その後、その女の子に告ったところ「あなたのことは恋愛とかそんな感じには見てない」的な理由で振られ、失意の中で卒業研究に励むある日、ふたたびChatGPTを使うこととなった。
実験で得た複数データのばらつきを評価することになった。こういった評価には、標準偏差が一般的に用いられている。標準偏差は高校1年(数Ⅰ)で習う内容だが、なぜ標準偏差でばらつきが評価できるのか、恥ずかしながらよく理解していなかった。特に、分散を求めるに当たりどうして2乗するのかサッパリだった。
公式だけ知りたければGoogle検索で十分だ。しかし、その公式の成り立ちや意味を調べようととしたとき、Googleオンリーだと結構難しくて時間がかる。複数のサイトを巡り、様々な情報を関連付けながら理解する必要があるからだ。
というわけでChatGPTの出番が来た。
私「標準偏差の求め方について教えてください」
ChatGPT「標準偏差は、データセット内の個々のデータ点が平均からどれだけばらついているかを示す尺度です。標準偏差を求める基本的な手順は〜(手順を5ステップに分けて丁寧にわかりやすく説明してくれる)」
私「分かりやすく説明してくれてありがとうございます。分散を求める過程で、なぜ平均の2乗するのでしょうか。」
ChatGPT「平均を2乗する理由は、主に以下の2つの目的があります。1.負の値の影響を排除する 2.ばらつきの大きさを強調する 〜中略〜 そして、標準偏差はその平方根を取ることで、元のスケールに戻します。」
私「なるほど!標準偏差は元のスケールに戻っているから、母集団と同じ単位で扱ってよいのですね?」
ChatGPT「はい、そのとおりです!」
目から鱗だった。コイツ有能じゃないか。私は学習塾でバイトをしているのだが、私が生徒に教えるよりも、教室にあるiPad渡して「chatGPTに聞いて」と言ったほうがよっぽど分かりやすくて良いじゃないかと。「AIに仕事を取られる!」と巷は大騒ぎだが、まさか自分の仕事が、直ちに危機的状況にあるとは思っていなかった。
しかしながら、実際に塾講師の仕事が絶滅することは無いと思われる。塾講師の仕事は「生徒にわからない所を教えること」と思われがちだが、実際には生徒のマネージャーという意味合いが大きいからである。
生徒が苦手な問題を見つけてカリキュラムを考える事はもちろん、宿題をやってこない生徒に居残りさせるとか、授業中に雑談したりスマホ弄ることを止めさせるとか、そういったフィジカルで泥臭い仕事が結構多い。そして、泥臭くて人間臭い仕事は、AIよりも人間が得意とする分野だ。
例えば、居残りしなければならない生徒が、授業後にしれっと帰ろうとしているとする。スマホの中にいるChatGPTが「居残りしましょう」とアラームを鳴らすのと、おいおい何帰ろうとしてるのかな?と生身の先生が声をかけるのとでは、生徒に与えられるプレッシャーが結構違うのではないだろうか。
大抵の児童/生徒はなかなか自主的に勉強できないものである。自主的に勉強できない生徒や児童に勉強をやらせるためには、適度なストレスをかける必要がある。ここで言う「ストレス」とは、叱りまくって体罰を与えるような暴力的なものではなく、自宅のリビングとは違って少し緊張感を感じる自習スペースとか、宿題やテストの出来栄えを授業で毎回チェックされるとか、そういったものである。そして、生徒の肉体的/精神的な体調を考慮しながら、適度なストレスを子供にかけるという価値は、学習塾が提供する価値として大きなウェイトを占めており、それは生身の人間だからこそできるものである。
そういった感じで、今後は生徒のマネジメント業としての性格が強くなりながら、学習塾のビジネスは今後も残り続けるものと思われる。多少なりとも雇用は減るだろうが、学生バイト講師の募集が減るくらいだろうし、(私の塾では)どの教室も万年人手不足なのでむしろ好都合だろう。
あと数ヶ月で辞めてしまうバイトだが、私は自分の仕事に価値を感じられて満足した。しかし、研究室を出て駅に向かう道中、歩きながらもうしばらく考えたとき、AIが教育に与える影響はかなりヤバイのではないかと思うようになった。
近い未来、というより現時点で既ににそうなっているが、分からないところを教えるのはAIがやってくれる。お金も時間もかからないChatGPTが、塾や学校の先生より分かりやすく解説してくれる。自主的に勉強できる子供はchatGPTを始めとしたAIをどんどん活用し、今まで以上に短い時間と少ない出費で、ぐんぐん成績を伸ばしていく。家庭では子供の勉強にかかるコストを抑えられるから、スポーツなどの課外活動によりお金をかけることができる。子供は課外活動で様々な経験を得られ、勉強以外の能力もどんどん身につき、文武両道なエリートとして育っていく。
しかし、自主的に勉強できない不まじめな生徒はどうだろうか。自主的に勉強をやらないためプロによるマネジメントを必要とし、学習塾に入れられることになる。学習塾での勉強は金銭的にも時間的にも重荷だが、AIを活用できる優秀な生徒には追いつけず、何もしないよりはマシな程度に留まってしまう。一方課外活動については、学習面にかかる金銭的・時間的なコストの圧迫を受け、こちらも満足いかないものになり、中途半端なレベルに留まってしまう。
子供が大人に成長し、社会に出てからもそれは続く。要領がよくやる気がある人間は、学生時代から使い慣れたAIを活用して沢山のことを学びながら、ガンガン仕事をさばいていく。それができない人間は取り残され、仕事を選べなくなり、さらに希望を失う。「AIに仕事を奪われる」と言われるものの、実際に仕事を奪うのはAIそのものではなく、AIにより教育されたエリートである。
もちろん、こういった格差はずっと昔からあった。そして、今現在もある。だが、これがAIによってますますエスカレートしたらどうなるか。
現在の日本は、大学新卒以降になると格差を覆すことが難しい社会である。だがそれは、居住地や親の太さなどの運要素はあるものの、一念発起して大学受験と新卒就活さえ頑張れば、何とか逆転できる社会でもある。
しかし、それがAIにより教育格差が促進され、小学校卒業時点に開いた差が永遠に縮まらないような社会になってしまわないだろうか。思春期が過ぎ、自分の性格を理解しながら理性を持って行動できるようになる頃、心を入れ替えて頑張ろうと思ったとしても、その時には何もかもがAIエリートには敵わなくて格差を覆せない。そんな状況になってしまわないだろうか。
10歳かそこら、いや、それよりも幼い年齢の時に、何かに興味を持つような性格か否か。自主性を持って物事に取り組めるか否か。新しいものを工夫して使おうと思うか否か。そして、これらの重要性を理解し、子供を誘導できる力量の両親をもっているか否か。
未熟な子供時代の性格と、両親の教育レベルの違いが、大きな格差を決定させてしまう社会。人として成熟した頃に気づいたとしても、何も為す術が無いような社会。そして、それが世代を重ねるごとに加速してゆく社会。
この間、ソフトバンクの孫会長が「ChatGPTを使ったことがない人は人生を悔い改めたほうがいい」と何かのプレゼンで話していたらしいことを知った。
見下されたように感じて正直腹がたったのだが、ちょうど女の子とデートする予定がありどんなお店を選べばよいのかさっぱりだったので、ChatGPTに相談してみることにした。
生涯で彼女いた事無し22歳童貞の知見では手に負えないからビッグデータに頼ったのだが?無能やん。と、その時は思った。
その後、その女の子に告ったところ「あなたのことは恋愛とかそんな感じには見てない」的な理由で振られ、失意の中で卒業研究に励むある日、ふたたびChatGPTを使うこととなった。
実験で得た複数データのばらつきを評価することになった。こういった評価には、標準偏差が一般的に用いられている。標準偏差は高校1年(数Ⅰ)で習う内容だが、なぜ標準偏差でばらつきが評価できるのか、恥ずかしながらよく理解していなかった。特に、分散を求めるに当たりどうして2乗するのかサッパリだった。
公式だけ知りたければGoogle検索で十分だ。しかし、その公式の成り立ちや意味を調べようととしたとき、Googleオンリーだと結構難しくて時間がかる。複数のサイトを巡り、様々な情報を関連付けながら理解する必要があるからだ。
というわけでChatGPTの出番が来た。
私「標準偏差の求め方について教えてください」
ChatGPT「標準偏差は、データセット内の個々のデータ点が平均からどれだけばらついているかを示す尺度です。標準偏差を求める基本的な手順は〜(手順を5ステップに分けて丁寧にわかりやすく説明してくれる)」
私「分かりやすく説明してくれてありがとうございます。分散を求める過程で、なぜ平均の2乗するのでしょうか。」
ChatGPT「平均を2乗する理由は、主に以下の2つの目的があります。1.負の値の影響を排除する 2.ばらつきの大きさを強調する 〜中略〜 そして、標準偏差はその平方根を取ることで、元のスケールに戻します。」
私「なるほど!標準偏差は元のスケールに戻っているから、母集団と同じ単位で扱ってよいのですね?」
ChatGPT「はい、そのとおりです!」
目から鱗だった。コイツ有能じゃないか。私は学習塾でバイトをしているのだが、私が生徒に教えるよりも、教室にあるiPad渡して「chatGPTに聞いて」と言ったほうがよっぽど分かりやすくて良いじゃないかと。「AIに仕事を取られる!」と巷は大騒ぎだが、まさか自分の仕事が、直ちに危機的状況にあるとは思っていなかった。
しかしながら、実際に塾講師の仕事が絶滅することは無いと思われる。塾講師の仕事は「生徒にわからない所を教えること」と思われがちだが、実際には生徒のマネージャーという意味合いが大きいからである。
生徒が苦手な問題を見つけてカリキュラムを考える事はもちろん、宿題をやってこない生徒に居残りさせるとか、授業中に雑談したりスマホ弄ることを止めさせるとか、そういったフィジカルで泥臭い仕事が結構多い。そして、泥臭くて人間臭い仕事は、AIよりも人間が得意とする分野だ。
例えば、居残りしなければならない生徒が、授業後にしれっと帰ろうとしているとする。スマホの中にいるChatGPTが「居残りしましょう」とアラームを鳴らすのと、おいおい何帰ろうとしてるのかな?と生身の先生が声をかけるのとでは、生徒に与えられるプレッシャーが結構違うのではないだろうか。
大抵の児童/生徒はなかなか自主的に勉強できないものである。自主的に勉強できない生徒や児童に勉強をやらせるためには、適度なストレスをかける必要がある。ここで言う「ストレス」とは、叱りまくって体罰を与えるような暴力的なものではなく、自宅のリビングとは違って少し緊張感を感じる自習スペースとか、宿題やテストの出来栄えを授業で毎回チェックされるとか、そういったものである。そして、生徒の肉体的/精神的な体調を考慮しながら、適度なストレスを子供にかけるという価値は、学習塾が提供する価値として大きなウェイトを占めており、それは生身の人間だからこそできるものである。
そういった感じで、今後は生徒のマネジメント業としての性格が強くなりながら、学習塾のビジネスは今後も残り続けるものと思われる。多少なりとも雇用は減るだろうが、学生バイト講師の募集が減るくらいだろうし、(私の塾では)どの教室も万年人手不足なのでむしろ好都合だろう。
あと数ヶ月で辞めてしまうバイトだが、私は自分の仕事に価値を感じられて満足した。しかし、研究室を出て駅に向かう道中、歩きながらもうしばらく考えたとき、AIが教育に与える影響はかなりヤバイのではないかと思うようになった。
近い未来、というより現時点で既ににそうなっているが、分からないところを教えるのはAIがやってくれる。お金も時間もかからないChatGPTが、塾や学校の先生より分かりやすく解説してくれる。自主的に勉強できる子供はchatGPTを始めとしたAIをどんどん活用し、今まで以上に短い時間と少ない出費で、ぐんぐん成績を伸ばしていく。家庭では子供の勉強にかかるコストを抑えられるから、スポーツなどの課外活動によりお金をかけることができる。子供は課外活動で様々な経験を得られ、勉強以外の能力もどんどん身につき、文武両道なエリートとして育っていく。
しかし、自主的に勉強できない不まじめな生徒はどうだろうか。自主的に勉強をやらないためプロによるマネジメントを必要とし、学習塾に入れられることになる。学習塾での勉強は金銭的にも時間的にも重荷だが、AIを活用できる優秀な生徒には追いつけず、何もしないよりはマシな程度に留まってしまう。一方課外活動については、学習面にかかる金銭的・時間的なコストの圧迫を受け、こちらも満足いかないものになり、中途半端なレベルに留まってしまう。
子供が大人に成長し、社会に出てからもそれは続く。要領がよくやる気がある人間は、学生時代から使い慣れたAIを活用して沢山のことを学びながら、ガンガン仕事をさばいていく。それができない人間は取り残され、仕事を選べなくなり、さらに希望を失う。「AIに仕事を奪われる」と言われるものの、実際に仕事を奪うのはAIそのものではなく、AIにより教育されたエリートである。
もちろん、こういった格差はずっと昔からあった。そして、今現在もある。だが、これがAIによってますますエスカレートしたらどうなるか。
現在の日本は、大学新卒以降になると格差を覆すことが難しい社会である。だがそれは、居住地や親の太さなどの運要素はあるものの、一念発起して大学受験と新卒就活さえ頑張れば、何とか逆転できる社会でもある。
しかし、それがAIにより教育格差が促進され、小学校卒業時点に開いた差が永遠に縮まらないような社会になってしまわないだろうか。思春期が過ぎ、自分の性格を理解しながら理性を持って行動できるようになる頃、心を入れ替えて頑張ろうと思ったとしても、その時には何もかもがAIエリートには敵わなくて格差を覆せない。そんな状況になってしまわないだろうか。
10歳かそこら、いや、それよりも幼い年齢の時に、何かに興味を持つような性格か否か。自主性を持って物事に取り組めるか否か。新しいものを工夫して使おうと思うか否か。そして、これらの重要性を理解し、子供を誘導できる力量の両親をもっているか否か。
未熟な子供時代の性格と、両親の教育レベルの違いが、大きな格差を決定させてしまう社会。人として成熟した頃に気づいたとしても、何も為す術が無いような社会。そして、それが世代を重ねるごとに加速してゆく社会。
全国の医学科生が4年生ないし5年生から、病棟での臨床実習を行うには、その前に行われるCBT・OSCEという試験に合格する必要があります。
薬学部や獣医学部などでも行われますし、その他でもご存知の方もおられるでしょうか。歯学部に関しては、医学部と同じ機構(医療系大学間共用試験実施評価機構 ・CATOとも)が運営して、医学部と同様に行われますね。
この医学部のCBT・OSCEにおいて、受験料の扱いが根拠希薄かつ不当なのです。CBT・OSCEと言うと長いので、以下共用試験と略します。
まず、受験料について説明すると、2023年度から医学科の共用試験が公的化されたことにともない、従来の¥25000から¥33000へと値上げされました。内容は不透明ですが、厳正な実施のためには必要な値上げだと思われます。CBTとOSCEで合わせて¥33000です。
そして1度目の試験で残念ながら不合格だった学生には再試験の機会が与えられます。CBTとOSCEは異なる能力を測る試験ですから、別々に合否が出ます。遅れながらここで説明すると、CBTでは「知識」が、OSCEでは「態度」「技能」が問われます。前者は筆記試験、後者は実技試験と捉えてもらって問題ありません。
ここで、CBTのみ再試験を受ける場合、OSCEのみ再試験を受ける場合にも、両者は合わせて一つの試験ですから という、漠然とした根拠によって¥33000全てが徴収されます。(https://www.cato.or.jp/cms/file.php?kubun=notice&id=3)
本試験:¥24000
https://www.phcat.or.jp/exam/faq/
「合わせて一つの試験」だから、という理由で、全ての試験料を徴収することに合理性がないのは明らかです。
たった数万で?と思うかもしれません。しかし、厚生労働省の資料の通り、医学生は「学外での貴重な自学・自習時間が、アルバイ トなどに浪費され」ないように勉学に励む必要があり、普段から非常に苦しい思いをしています。
https://www.mhlw.go.jp/content/10803000/000932162.pdf
薬学部の共用試験と同様な柔軟な対応を、医学系・歯学系共用試験にも強く望みます。
学生から「CBTが好成績ならOSCEが僅かに基準点に達しない程度の成績でも、合わせて一つの試験なのだから合格にしてくだざい」と言われて、否定できるのでしょうか?
これは私の考えですが、そもそもCBTとOSCEは完全に別々の試験で、2つとも合格しないと臨床実習生の資格が得られない、という基準のみが一つの試験ではないでしょうか?合わせて一つの試験、という主張自体に些か無理があるように思われます。
資格取得を目指す系の学部だとまずはここから始まることが多い。
理系の大学でも、1,2年などの基礎的な科目は何があってもこれかなあ。
これは修士(大学院の博士前期課程)以上ならこれ。ただしたくさんなんて書けないので、「ちゃんと書く」の方じゃないかな。
ただ、修士課程ではない普通の大学生も、卒論のために研究活動の真似事をやるので、それを自分で調べて、どうやって「答えが無い」事を調べてまとめていくかと言うやり方を学ぶ事になる。
ならないですね。こう言う勘違いしてるアホいるけど。
ゼミナールはあくまでも続けている研究行為の進捗会議みたいな役割である事が多いのでは。
足りません。大抵の大学の授業は、授業の3倍以上の自習をすることを前提にカリキュラムが組まれている(と言う建前)になっています。ちゃんと自習しましょうね。
これは「大学生という身分が使えるのは4年しかないが、バイトはその後でもできるだろ」と言う意味だと思います。
色々な説はあるだろうけど「教科書にない専門的な事を自分で調べ自分で学ぶ方法」がメインじゃなかろうか。
あるいはもう一歩進んで、「大学生」って看板を使って色々とやってみることまでいければよい。例えば若手の社会人がそれなりに名が通った人に話を聞きたいとか言っても門前払いだが、大学生だとスッと受け入れてくれたりすることがある。
地方国立大とかだと結構看板がバカにできなくて、いろんな事ができるから、それを最大限利用することもできたらいいんだろうと思うけど、まぁ卒業してから気付くよねそういうのw