はてなキーワード: なんぼのもんじゃいとは
使い方これで合ってますかね。
読んでて少し発言したかっただけですが、このサイト使い方とかローカルルールとかよくわからないのでうまくできてなかったらごめんなさい。
あと気を悪くしたらすみません。
チラ裏レベルの話です。でもやっぱどっかで投げたかった文です。
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まず、こういった気持ちを発信するということは、とても良いことだと思いました。
愚痴を吐き出すつもりで投稿されたのかもしれませんが、このことを話題に少しでもこのジャンルについて考える人が生まれるのならそれは良いことだと思います。
そして、この記事への反応をみると、ただただ煽るような言葉が並んでいるのが少し残念です。
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ルッキズム等の詳しいことはわからないので一介のオタクの視点としての考えの話になりますが、大手ジャンルが特定層向けに舵を切り振り落とされる人が生まれお気持ち連鎖が起きる現象が近年多いように見受けられる気がします。
言及元記事の「キャラクターが男性のみ、女性が一切排除されサブキャラクターにも存在しない」というのは、女性向けゲームにはありがちなものだと思いました。
逆に、男性向け作品だと「キャラクターが女性のみ、男性がサブキャラクターにも存在しない」というのもありがちですよね。(ラブ……ブ!とか)
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今回のこれはもともと"大衆向け"だったディズニーの作品を"女性向け"に落とし込んだ結果生まれた溝なんだと考えています。
おそらく、性的搾取だとかの考えはそこまで無く、女性向けとして考え売れる作品展開を考えたらこうなってしまったのではないでしょうか。(女性向け作品の概念自体が性的搾取に近いと言われたらそれはまあ…といった感じですが)
私自身、もともと好きだった作品が、Twitterで騒ぐ画像リプチー牛オタク層向けに媚びるよう舵を切り始めたとき、三日三晩枕を濡らしたことがあったので、振り落とされる側というのは辛いんだよなという感覚はあります。
表面にあらわれている多数派というのは、公式に対してイエスマンの人ばかりになりがちなんですよね。公式に振り落とされてもそのジャンルが好きなままの人にはキツい環境だろうなと思います。
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少し話は変わりますが、先日Twitterを見ていた時に「ディズニーが好きな私が好きというパンピ層が苦手だ」というDオタのツイートが流れてきたことがありました。
ディズニーに関して詳しくはありませんが、ここまで世界的に一般にも通じるジャンルというのはそうそうないと思っています。
これはオタ非オタ関係ありませんが、ここまで広まっているものだからこそ、ジャンルという感覚が無く、ただキャラクターや作品を深く知らないで消費するというのが普通になっているように感じます。
ミリしらで許されるというか、ミリしらで楽しむことが一般的というか、そんなジャンルになっているのがディズニーなのかなと思います。サンリオとかミニオンとかもそんな感じな気がしますね。
言及元記事の筆者さんや言及元記事のように考えてるDオタの方々の感覚は、正直多数派ではないと思います。でも、この感覚はそのジャンルを好きな人にあって当然だろうなと、も思います。
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公式として出されると、無意識のうちに「受け入れなくてはいけない」という強迫観念におそわれるのではないか?と私は常日頃から考えています。
私自身、好きだった俳優の言っていることが自分の思想とあまりに違い受け入れることができなかったとき、「好きなのに受け入れることができないなんてそれでいいのかな?」となってしまったことがありました。
言及元記事を読んでいると、筆者さんはこの感覚が強いのかなと思いました。受け入れなくてはいけないと思うからこそ辛いのかなと思いました。
こういう時は一回インターネットから離れるのも大切かなあと思います。
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どう言うのが正解かはわかりませんが、筆者さんがいつか「ツイステなんてなんぼのもんじゃい!ディズニーの作品これいいぞ!みてくれ!」みたいな布教をしてくれればいいなと思います。
ノートルダムの鐘という作品をこの記事で知りましたし、ルッキズムや性の観点からみたディズニーについても面白いからもっと知りたいなと思いました。
表現者も現実の人間であるってことを受け入れてなくて架空のキャラクターやマスコットのように振る舞ってほしいってのはなかなかに無礼だし幼稚なエゴだ、と謗られる覚悟の上でその感情を肯定するのだったら、まあそういう人は仕方ないとは思うけど。
むしろそういう幻想を抱きがちな人の誤解を生まれる前に消し去る為に、表現者もどんどん忌憚なく政治的発言をすべき、とする方が健全ではない?
演技や創作の表現中ではないんだし、そことは分別をつけて、SNSにいるのは現実の人間の方なんだから。人間をフォローするってのはそういうことだし、そういうのを一切受け入れ難いのであれば表現者自身をフォローせずに公式アカウント等だけフォローすればいいだけのことだし。
まあ残念な気持ちになる事があるのは誰もが理解できる。でもそこは理性で乗り越えるべき部分なはずで、「良い悪いを論ずるべきでない」みたいに変にタブー視すること自体がおかしい。
まあ表現者が自発的に専門外のトピックを自粛するのならまだしも、他人が「やめてよ」と心の中で思うまではよくとも「やめてください」とは言っちゃダメなライン。それだけのこと。
個人名で発信している以上、他人はコンテンツである以前に人間なんだっていう当たり前のネットリテラシーを揺らがせてはいけない。
むしろ最近なんか会社名を背負ってるアカウントですら個人的な人間臭さをゴリゴリ押し出してくる世の中になってきてるし。
ある意味、みんなで「残念な人」になろう、怖くないよ、炎上なんぼのもんじゃい、死ななきゃかすり傷、的なノリさえ感じることがある。
相互性つったってさ、つまんねえ劇だったら観客の方から乗り込んでいってぶっ壊すような行いが許容されてるわけじゃねえじゃん
歌舞伎の大向うやプロ野球の私設応援団みたいなもん、もっと言えば子供向けのヒーローショーで応援の声を求める毎度おなじみの流れのようなものでしかない
見せる側と見る側の立場にはそれだけ差がある
見る側からのコミットメントというのは、あくまで厳格なルールのもとにコントロールされた上のものであって、ぶっちゃけ見せる側にとって期待通りの行動を期待されているだけのようにしか思えないし
スポーツに対して「観客を取っ払ってもスポーツ自体は成立する」と切って捨てるのであれば、そんなら演劇がなんぼのもんじゃいと思ってしまう
その後進展も何もないんだけど、とりあえず思い出し苛々したので追記がてらここに吐き出す。
・「うちの常識とお前の常識は違うじゃん?半分取らせてやる時点でうちとしては譲歩してるんだから、お前も譲歩したら」って同僚(50↑)にも言われたんだけど、いやいやいや!うちの常識って!せっま!法律とかもっと外の世界に意識を向けてみなよ!そもそもその場から出ようとしてる人間に内部の常識とやらが通じると思っているのか…
・「うちの会社は地元では結構顔がきくから、ここで気まずい辞め方するのはおすすめしない」みたいなニュアンスの話とか。いやいやいや!考え方せっま!!『うちの会社』がなんぼのもんじゃい!そして私は、どちらかといえばそういう人間関係を軽視するタイプなので、たいへんどうでもよろしい。小学生の女子グループじゃないんだからもう。
・「世の流れはそうかもしれないし、うちも少しずつ変わろうとしてる。けど、そう急には変われない(からお前は我慢しろ)」も謎だったな…待ったなしで変わらざるを得ないのが現代だと思うんだけど。何を悠長なことを言っているんだ。会社が変わるの待ってから辞めろってか。
救いは、同世代以下の若い世代は、こういうのをおかしいという感覚を持っていること。どうかこういう時代錯誤な考えに染まらずにいてほしい。
そして去りゆく私にできることは、あとに残る若手のためにも、当たり前のことを当たり前にやったという実績を創る事じゃないんだろうかとか考えてしまう。自分は間違ったことは言っていないつもりでも、お世話になったのもまた事実なので立つ鳥跡を濁しまくりなのがしんどすぎて、そういう風に自分をヒーロー視しないと踏み出せそうにない。いや、やるだけのことはやるつもりだけれど。
クソ田舎なので外国人をあまり見ない。先日サクラとして参加したシンポジウムで、日本人の若者が将来の夢について
はつらつと語ったいちばん最後に、外国人留学生のチーさん(仮)も夢について語るよう司会に振られていた。
チーさんは地元の地方国立大学大学院に留学してきているいわゆるエリート層のはずだが、司会に振られた最初の質問は
「志ってわかります?」だった。「漢字って難しいですよね。わかります?」はあ。「何年生ですか?何歳ですか?日本に来て何年目ですか?日本語お上手ですね。」
にこにこ満面の笑みで司会進行するアナウンサー。
大学生にする質問ってさあ、もっとなんか違うもんがあるんじゃないの。あなたの専門はなんですか?とか。
これが日本人の大学生なり大学院生だったらもっと違う質問してただろうなあ、とこれまでの日本人に対する司会の投げかけを見て思ったからより一層寒く思った。
事前に発表する人はだれかわかっているのに通訳なりつけるとかすればいいのにそれもなかったしね。
大衆の前でなぶられる外国人留学生を見て、クソ田舎の文化に対して「そういうところだぞ」と思ったのだった。
あのアナウンサーはもうちょっと事前に何を質問するとか考えたりしなかったのだろうか。
擁護するなら、「外国人」っていうだけでテンパってしまったのかな~って所だが、お前はプロじゃないのか。
レス返し
これを差別というのかなあ?
「とりあえずわかりやすい正義ワード」を使って安易に他人を攻撃していいのか?
なるほど。文意を汲んでもらえなかったみたいなのでレス返すね。
差別って、特定の集団に属する人をそれだけで特別扱いするってことだと認識してるんだけど、
この場合は日本語に不慣れな外国人ってだけで幼児扱いするのが差別だと感じたんだよね。
ここで言いたかったのは、明らかに力量不足のアナウンサーを起用して集団の前で特定の人を侮辱することが
力量不足の司会を起用して、大衆の前で個人を侮辱するのは主催側のいじめじゃん。公的な催しでそんなことしていいの?
クソ田舎の文化の中じゃ、このアナウンサーがプロとして力量不足だっていうことも、あの司会が差別だっていうことも認識されようもないのが
めちゃくちゃ恥ずかしいと地元民として思ったんだよね。ムラ社会の弊害だよ。
ていうか差別って正義ワードなのか?この日記は正義を振り回して過剰に口撃しているのか?
昨日の午前中に斎場で「行ってらっしゃい」と送り出すことができた。
数日内に私が選んだかっちょいい紺の袋に入って帰ってくる予定。絨毯にヒゲが1本ちょこんと落ちてたのでこれは保管。
斎場でもお姉さんに「しっかりした猫ちゃんですね~」と言われてちょっと笑った。
うちの猫を見た人の感想はだいたいそうだったし、私も形容を問われた場合「存在はかわいいが見た目は・・・うん、しっかりした猫」だったから。
5kg超えの猫をキャリーじゃなく箱で抱えて行き来するのは運動不足の上腕にはかなりつらくて、受付で腕がプルプルして受付票書くのにかなり苦労したのには参った。
夕方から夜中にかけて、コメントをちょこちょこ覗いて都度泣いてた。
えぐられたような痛さが和らいだ。本当にありがとう。
あの姿を見た瞬間の衝撃と、一晩で酷使した上腕二頭筋はまだ熱をもってじくじくしているけど、「いってしまった」ことに対する事実に対しての感情は落ち着いてしみじみしたものになりつつある。
一人暮らしの動物飼いの必須条件は「動物より先に死なないこと」なので、少なくともそれは果たせた。それだけは頑張った、私。
気づかぬ間にいかせてしまったけど、じゃあ、それを目前で見てたらどうだったか考えたら、ヘタレな私はもっと耐えられなかったと思う。やっぱりあいつは空気読むやつだった。大体接し方が保護者チックだったし。
とにかく良い猫だった。本当に良い猫だった。
エイズキャリアなのは引き取った後の検査で判明したことなので、「あちゃー」と思ったし怯えもしたがもう縁を結んだものなのでそんままズルズルの10年だった。ので、その辺は特に偉くないしいいやつではない、です。
奴が頑張って発症させずここまで来れた、人間換算70代で、周囲の70-80代が元気だったし「何なら、このまま猫又クラスいっとく?」とちょっと欲かいてた。甘かった。反省。
おう、ぜひそうしてくれ、いや、ください。もふもふいちゃいちゃしてイラっときた猫に蹴り飛ばされるor噛みつかれるまでセットで。
ほんそれ。実感。飼い始めた瞬間「私、なんかすごい飛んでもないことに手ぇだしてる?」とちらりと思ったけど、こういうことだったんだな。
昨日1日ほんと辛かったけど、365日×10年+α(計算できてない)の間すごい楽しかったから、その楽しさ幸せの時間の長さと比べたらその代償としては「この痛み、なんぼのもんじゃい」とも言えるのかもしれない。
踏んでない。踏まれたほうが多い。
面白くはなかったが、体は入れ物と感じた瞬間。物事こんなあっけなく終わるんだな感。
何故、カニ?と思ったら、カニいた。確カニいたよ!笑った。ありがとう。
正直すみません。でも「死んだ」「死んでしまった」よりも一番その時しっくりきたので。
こればかりは縁次第。辛かったけど「だから、もう二度と飼わない」とは現時点では思ってない。ただ40代一人暮らし、今後を考えると迂闊なことはできない。ひとまず保護ボランティアさんに支援の差し入れするつもり。
明日は、興味はあるものの飼い主馬鹿が過ぎるようで手出しできなかったフォトブックサービスにチャレンジ予定。端末いろいろ漁ったら、幸いに自撮り機能のお試しで2ショット撮ったのが残ってた。撮っててよかった。
あと獣医さんいお礼を言いに行かなけらばならない。緊急時はかけて良いといわれてはいたが、夜中0時という超非常識な時間に電話したのに周囲から犬猫の声が聞こえてて残業中の模様だった。うちの子も入院時はそうやって手厚く診てもらってたんだろう。激務だ。
最後に繰り返しになりますが、コメントを寄せてくださった皆さま、本当にありがとうございました。モニター越しの多数の声がこんなに心強くて支えられるなんて思ってもみなかった。ただただ吐き出したいだけだった。今までこういうエントリは読むだけだったけど、これからは自分も何か返していければ、と思います。
再び猫へ。お前は本当に良い猫だった。幸せだった。ありがとう。お前のちょっと良い話やアホエピソードは、ネットのどこかに書き散らせてもらうし酒の肴にもする。見守ってなくてよいから、ただただ飼い主の心の肥やしになるがよい。ありがとう。
新型車用のアルカンターラ内装を発注してキャンセルして発注して納期繰り上げたら東レが切れて2000台前後で供給終了して現行車と新型車の今年頭からの新規生産分が全部網目地の布で納車されてるらしい
新型だけじゃなくて現行もオプションパッケージ入れても網目地で生産されてるのが現物確認されてアルカンターラがなんぼのもんじゃいと掲示板がちょっと騒ぎになってる
テスラの車はオンラインでのBTO直販とアウトレットのみで代理店扱いなしなので注文時にはアルカンターラ内装で宣伝して入金されてるけど仕様変更に関して納車時や公式の説明はないらしい
一応サプライヤがテスラの高い基準を満たせなかったくらいのことは言っているらしい
注文時と納車時で構成がどんどん変わってるのはいつものことだけどあからさまにサプライヤにキレられてグレード落とすのは珍しい
運転席側Aピラーにでかい亀裂が入ったボディが塗装されて組み上げられて納車された後で発覚して特にリコールとかはしなかった事件とか
ダブルヒンジガルウィングが走行中に突然なめらかに開いてうまくロックしなくて購入者が返品しようとしたけど揉めた事件と同じくらいかそれ以上には珍しい
朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZのボーカルとして知られている。現在は俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。
今期のNHK朝の連続ドラマ小説「ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男は茨城の片田舎でマッシュルームヘアーでバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。
だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男が上京し過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。
***
時は2005年、中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZのアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。
北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?
それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生のときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。
当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドをラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオとカセットテープのプレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。
中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。
友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。
***
「カラオケで銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」
と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。
その時は正直
「は?」
と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から「銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。
肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。
自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手に銀杏BOYZの話をしていただき、ライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき、朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。
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そんな折、先々月の銀杏BOYZのライブ「東京のロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアーは実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。
わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。
でももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちでライブを楽しむことができると信じていた。
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峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュとダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ。対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和な西海岸か熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。
峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団の様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。
峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活で無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ちが10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。
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思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち、自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ちが擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。
峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己のコントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。
峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山のシャレオツなカフェで静かにギターの弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。
客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったときに銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手に肯定された気持ちを手放したくないのだ。
もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dのホログラムが投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去そのものであり、みじめで変えようがない過去の自分そのものでもあった。
だから皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的で個人的な存在だった。
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そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちではいられなかった。
でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近は映画に舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたしが過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。
そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生のわたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。
宗男はイギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴がビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものにしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である。
わたしが勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたしが勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。
「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロの俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。
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そんなこんなで銀杏BOYZの武道館公演のチケットも当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。