はてなキーワード: 谷崎潤一郎とは
…これは「正しい」とか「間違い」とかいうことじゃなくて、「好み」の問題
音楽を聴いていても聞き所は人によって違う。
たとえば自分と周りの人間は
(自分=楽器はかじったくらい。子どもの頃ピアノ、兄弟=ギター超うまい、友人=元吹奏楽。一時自分と一緒にお遊びバンドをやってた。、相方=楽器とか全然。音楽も普段聴かない)
というスペックなんだけど、考えてみるとこんな感じみたい。
自分「リズム>声調>歌詞>メロディ」的。 得意:ポップス、ロック 苦手:クラシック系
兄弟「ギターの技巧>音色>バンドの調和>メロディ」的? 得意:ギター系全般クラシックも 苦手:ヒップホップ
不思議というべきか、当然というべきか。
で、読むものについても似たような意見の相違はあるわけで、有名どころでは芥川龍之介と谷崎潤一郎が真っ向からやりあった「小説の筋論争」(参考:「文芸的なあまりに文芸的な」wikiペディア)なんかがある。簡単に言えば
谷「筋がなくて小説と言えるかぁ!」
という話。下の増田を読んでつらつらとそんなことを思い出したりした夏の朝。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
才能なのか生まれ育った環境かわからないけど、努力して努力してやっとこ満足な文が書けるって人は、
むしろ自分の好きな分野の「ライター」を目指したほうが大成すると思う。
「うまい・・・感じちゃうっ・・・!」って文章がうまい文章かなw
シリーズものの作者だと、既に醸成されている世界観や登場人物の力を借りつつ
「読者どもッ!これが俺の書いた物語だッ!WRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYY!!!!」
ってやることができる。(もっともそれだけ懐の深い「設定」を産み出せるのは並じゃない)
でもそんな、いわば外部の力を借りることなく凄みのある文章を練り上げるのは・・・
中島らも御大のエッセイ(空からぎろちん)に「私の文章の書き方」ってのがある。
「うまい文章」を書く、ということを、まず初手から僕は諦めている
中略
ところが、ある日翻訳ものから目を転じて泉鏡花を読んだ。知らずに宝石箱をあけてしまったような感動だった。
世の中にこんな芳醇な、古酒のごとき文章があると知って、それから明治大正期の作家を読み始めた。
藤村、白秋、荷風、谷崎潤一郎に三島由紀夫ときて、文章に酔う喜びもさることながら、
「あ、こりゃだめだ」
と、気付いた。これだけの文章を書く人たちがきら星のようにいる以上、うまい文章を書こうという自分の望みは、
むしろこっけいに思えるのだった。逆立ちしようが百年千年練習しようが、自分には不可能であることに遅まきながら気付いたのだ。
何冊も売れた人でもこう言うんだからw
「あ、こりゃだめだ」って感覚に俺は耐えることができなかった。