はてなキーワード: エイプリールフールとは
エイプリールフールということで、すでに飽きたーという声もあるが、例のごとくネット上でパロディサイトが沢山出来ている。
気の利いたパロディもある。し、割とどうでも良い物もある。
さて、と思うのは、さすがに公式ではあまり毒のあるパロディはやらないよな、という点。
経済活動において信用は第一の物であるし、間違いなく、それは正解だと思う。
意図的に毒を吐いて、客に不快な思いをさせて、難癖つけられて炎上し、会社(や個人)の信用を落としてもそれは自業自得としか言えないだろうから。
そうすると、毒を吐くのだったら、匿名の方が良いよな、ということにもなる。この増田のシステムのように。
Twitterも毒を吐くのには不適切であろう。下手をしなくても本人に読まれる可能性が高いし。というか、Twitterはアーキテクチャ的に、「好きな時に軽く書き込める」ように出来ている。ということは、そういういうことが出来る人達が有利というか、場の主導権を握っていくシステムでもある。
そういういうことが出来る人達、つまり、一日中コンピュータ(モバイル含む)でネットにつながれるような人達は限定されている。例えば、IT関係者、フリーランスの人、研究者、無職、自分の時間の使い方に裁量権があるくらい偉い人、あるいは暇をもてあましている金持ち。とすると、例えば、フリーランスのライターが売名行為の一貫として(自分が不利にならないような)真実を突いた、欺瞞を暴いた発言をする、というのが多分、効果的な使い方の一つなのであろうとは思う。
話がそれたので元に戻すと、なぜ日本のお笑い番組が面白かったか(過去形)というと、ええ、それを本当にやってしまうのか?というところが面白かったのだと思う。ネットがなかった時代ならなおさら、過剰な演出であってもリアリティをもって受け止められただろうし。
そして、今はその場がネットに移っている訳だが。つまり、大きな子供の遊び場がネットに移っている、ということなのだろう。ただし、先に述べたように、公式で毒を吐くと、結果的に損になる場合も多いので、どの地点で叩かれるかを予測する空気読みの能力が非常に(TV時代以上に)問われる、ということではないだろうか、多分。
ただ、ちょっと感じるのは、日本がクリエイティビティというのは、そういう便乗や悪ノリをどこまで本気でやるか、みたいな点にあるとも思うのだ。便乗や悪ノリの変態改造を重ねて訳の分からない次元にいってしまうのが面白いのだと思う。
ネットサービスにしても、「日本発のデファクトスタンダードがない!」と嘆くよりも、例えば、どんどん流行りのTwitterを変態改造する、という態度が日本人的に生産的なんだと思う。どちらにせよ、米国のように、既得権益に真正面から対決して相手を破壊するような、GoogleのようなiTunesのような硬派(?)なサービスが、風土が違いすぎる日本でいきなり立ち上がる訳がないのではないか!というのはゆとり……、じゃなかった甘えかも知れないけれど、それは日本のやり方ではないよね、という気が非常にする。
結果から言えば、現在の日本のインターネットは当然の結果であり、別に「日本のインターネットは残念」なのではないと思う。不謹慎と悪趣味の境界に対峙しながら、空気を読んで、流行に便乗して、悪ノリし、変態改造を重ねて訳の分からない次元を目指すのがむしろ日本のインターネットの自然な姿なのだ、多分。
人が集まれば、金も集まる。人がいなくなれば、金も集まらない。日本の場合(という訳でもないかも知れないが)、既得権益はギリギリまで形骸化しないと、こちらの話に耳を貸さないだろうし、建設的な話を向こうから振ってこないだろう(radikoは良い例だ)。
では、ネットのエイプリールフールパロディも否定するのではなく、楽しんだ方が良いよね、ということにもなる。もちろん、「俺は、今までのエイプリールフールパロディも否定して、さらに創作者に知恵を絞らせているんだ!」という主張もありだと思うけどね。