はてなキーワード: 盲腸とは
生活保護を貰って生活している知人がふたりいます。ひとりは東京、もうひとりは福岡に住んでいます。
福岡の友人は、弱視という障害を抱えながら働き、足りない部分を生活保護で補って貰っています。今年は盲腸を筆頭に入退院を繰り返して仕事が出来ない為、生活がとても苦しいと、先日言われました。
東京の友人は、テレビで離婚記者会見を見てPTSDだと自分の病名を決め、病院に行き、そして病気になり、仕事をいきなり辞め、家に引きこもったシングルマザーです。
でも、ふたりにはかなりな違いがあります。福岡の知人はしょっちゅう携帯を止められ、生きているのか分からなくなる状況によく陥ります。福岡は生活保護の基準がとても厳しいらしく、パソコンが家にあっただけで生活保護が止められると教えてくれました。収入が少し増えただけでも額が激減するそうです。
でも東京の知人は、オークションで売り買いをし、先日はパソコンを新調したそうです。中古だから安く買えたと言われましたが、去年出会い系サイトに騙されて借金を背負っているのに、凄いリッチだなぁという感想しかありませんでしたが、勿論言えませんでした。育児も殆どしておらず、子供の食事は3食コンビニ弁当。夏休みなどの長期休暇の場合は、実家に行くそうですが、出会い系サイトに騙された時も、もう少し子供の為に何かしてやればいいのにと、言いましたが、彼女は出来ないと、言いました。
生活保護の基準が都道府県によって違うのか、とても気になります。子供はすくすく育っていますが、児童虐待のような気がしてしまいます。パソコンも就職活動などで必要なら分かりますが、彼女がしているのは、オークションと自分のブログを書く事と買い物くらいで仕事を探す気配もありません。まぁ、病気だから仕方がないのでしょう。
でも彼女は病気になったばかりの頃、こう言いました。「一生懸命働いても10万円ちょっとにしかならないのに、生活保護を貰えば何もしなくてもお金が手に入る」と。なんだか自分も最近の物価値上げの影響で、楽な生活をしたくて仕方がありませんが……。でも、一人間として正々堂々と生きようと私は思っておりますが、楽な生活をしている人って日本に何人いるんでしょうね。そして生活保護が本当に必要なのに受けられない人も何人いるんでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080605021431
結論です。
結局ケミカルな物を取り入れることにしました。通院はしません、誰にも相談しません。
あまり褒められた物ではない感じの薬で対処しようと思います。
(合法ですし体に悪いとはされていない物ですが、具体的に何か、というのはあえて書きません)
そして、子供を産んでから睡眠時間が多めになっていたので、4時間くらいに減らして
勉強に充てたいと思います。なんとか。疲れたら寝ちゃうかもしれませんけど頑張ります。
自分との折り合いという意味ではここが妥協点かと思います。
盲腸を薬で散らしてる感じでしょうか。
どこまで頑張ったらいいのか・・・と悩んだのが間違っていたのかもしれないです。
終わりがない感じで頑張り続けるしかないのでしょう。giftがなかった人間の宿命です。
何となく立ち位置が決まった気がします。
うさぎとかめみたいなもんですね。
医療崩壊なんだかんだといったそういう情報を最近よく見る。「医者はもう限界です」っていう。でも私も私の周りの人間も、医者に行くって言うと、普通耳鼻科だとか眼科だとか歯医者だとかで、いわゆる総合病院なんかにはほとんどいかない。骨折だとか盲腸だとか結石だとかそういう時くらいだ。
うちの家族が病院にお世話になったのは多分、私たち兄弟が生まれたときと、弟が白血病になったときと、父が結石になった時だけだ。
夜間救急なんか行ったことがないし、救急車を呼んだこともない。
それで、夜間救急に大した怪我でも病気でもない人間が空いているから、という理由で来るからどうの、っていう記事を見ると、それって誰なんだ?そんな人間いるのか?と思ってしまう。
病院いく、って時に、近くのいわゆる開業医ではなく、大きな病院が選択肢にまず出てくる地域、てのがあるところにはあるのだろうか。不思議。
大きな病院って大怪我した時か、大きな病気した時だけにいくものだと思ってた。というか思ってる。十年に一回いくかいかないか、みたいな。年を取ると色々とそうは言っていられなくもなるのかもしれないけど。
なので医療崩壊といわれても、イマイチこう切迫感がないというか、現実味を帯びて考えられなかったりだ。
こういう人間は結構多いように思うのだけど、どうだろうか。
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というか、近くの開業医ですらほとんど行かない(だって風邪くらいじゃ普通医者にはかからんでしょう。インフルエンザかなー?でちょっと迷うくらいで)ので、医者の需要ってそんなにあるのか!?というのが正直なところ。医者っていうと定期検診の歯医者くらいだ実際。
まあ地元の公立病院では産科が閉められた(募集停止?)ので、そういうとこでは医療崩壊を実感するのだけど。
崩壊に対して一体何をすればいいのか、て時に、できることって何もないんじゃね?と無力感にとらわれる。
戦争しようと町まで 出かけたら
戦車を忘れて 三輪車で突撃
(ABCの歌の替え歌)
ABCの海岸で カニに○○○○挟まれた
痛いよ離せ 離すもんかソーセージ
(ABCの歌の替え歌その2)
ABCの海岸で カニに○○○○挟まれた
痛いよ離せ 離すもんか森総理
パンパース Lサイズ
人気(ひとけ)の少ない公衆トイレ
誰かと誰かの声がする
「紙、紙、紙紙紙!!」
紙が無いから葉っぱで拭いた
葉っぱで拭いたらケツ切れた
「痛い、痛い、痛い痛い痛い!!」
あまりの痛さに包帯巻いた
包帯巻いたらクソできない
「我慢、我慢、我慢我慢我慢!!」
我慢のしすぎで盲腸破裂
手術に失敗 あの世逝きー
アンアンアン とっても大好き しずかちゃん
Q.私は何歳でしょう?
追記
夜半までかかるかもしれない打ち合わせが客の都合で延期になり、スケジュールもない夕方は不思議な空白になった。仲間の事務所に立寄って馬鹿騒ぎでもするかとも思ったが倦怠感に負けた。タクシーも使わず春の夕日に引かれるように青山から渋谷まで学生時代のことを思い出しながら歩いた。宮益坂を下り郵便局の前で出し忘れた書類を思い出し立ち止まると、痩せた中年の女がKさん?と僕に声をかけてきた。灰色の服で大学でフェミニズムでも教えていそうなショートヘアーの女。すみません、思い出せなくてと答えると、以前青山の事務所で一緒に働いていたNです、覚えてますか?と妙に明るい声で答えた。大学を出て数年後派遣のように通っていた事務所に、バイトをしていた青学の女の子が一人いた。その女だろう。飲み会でふざけてくどいたこともあった。名前は忘れた。
思い出したよ。変わらないねと僕は言った。彼女は嬉しそうに笑ったが僕は嘘をついていた。20年して変わらない女はいない。顔の輪郭や雰囲気は同じだし歳の割に若々しくもあるのだが、それでもN子は水気の失せた中年の女だ。閉経を待つ女。
Kさんも変わらないわとN子は言った。そんなはずはない。N子は記憶を見ているのだろう。そんな会話が途切れた時、僕から誘った。時間があるならお茶でも飲んで行きますか? 今晩暇なんだけど。そう言って「今晩」という言葉にバツの悪い思いがした。N子はええもちろんと嬉しそうに答えた。中年になると女も男もどうして恥ずかしげもなく嬉しそうな表情を出すのだろう。
食事をした。インド料理。美味しいとN子は学生のような声を上げた。あの時僕はこの子をくどいたのだけど結局だめだった。理由は忘れたが、その明るさに萎えたのではなかったか。明るくて幸せそうな女の子に惹かれなかった。だが年月は女を不幸にする。
食事が終わり渋谷駅の雑踏で別れようとする時、その気配を察したかのようにN子は子供のように僕に抱きついた。僕は彼女の頭を抱き、そこに僕の頭を寄せた。しばらくじっとしていた。知り合いに見られても奥さんと仲良いですねくらいにしか思われないだろう。N子は泣いているかもしれない。両手で耳脇を掴んだまま頭を離し彼女の顔を見た。皺を深めながら微笑んでいた。飲んでく?と聞くと彼女は黙って少女のように頷いた。
少し飲み、それからホテルに入った。若者で混み出すラブホテルは避けた。部屋に入ると彼女はすっと部屋を薄明かりにしてシャワーを浴びに行った。いつもそうするかのように。
裸のN子は痩せていた。乳房は枯れて乳首だけが掌に縄の結び目のように触れた。擦るように転がし回すとN子は呻いた。首から耳へ、公園に放たれた犬のようにキスした。絡みつくN子を離し、腋から臍の回りを舐め進め、下腹に盲腸の跡のような傷を見つけて舌と止めた。N子はそれを察知したように身体を震わせた。秘所へは大腿から舐め上げた。N子は脚を開こうとしたが、僕はその両脚を腕で抱いて束ね、ぴったりと閉じさせた。そのまま恥毛に隠れた淵に舌を差し込み性器の割れ目の先に潜むクリトリスを探り始めた。N子は恥丘を突き出すように弓なりになった。