はてなキーワード: ドブ板とは
たぶん、助けて欲しいってときの候補者選びは、理屈じゃないんだよ。
一番効果的なのはドブ板、つまり握手をした数であり、声をかけた数であり、泣き落としだ。
醜いけれど、それがモノを言う。
だいたい、脱原発みたいな市民活動の典型みたいなやつは、草の根からやってくものだろ?
上から号令をかけたって、響かない。
まして、バックが小沢なのが丸見えじゃさ。
未来は政策に説得力がなかっただけでなく、選挙努力が甘かった。
タレント落下傘の奇襲戦法が通用するのは、浮動票で勝負が決まる投票率が高い時だけだ。
あれじゃ勝てるわけないわ。
俺はドブ板は嫌いだけど。
配慮すると他の大臣や長官の辞任要求にまでエスカレートし、つけこまれるからという認識があるようだが、なぜ、その認識が対中国の時には出てこなかったのであろう。
中国には配慮し、日本国民の直近の民意を反映している参議院には配慮しないというのでは、民主党政権は、どこの国の政府なのであろうか。
善意あふれる無能であるならば、それを通した方が、まだ、下野後に無職になったとしても、無能な善人として市井に生きる事は出来たであろうが、こうなってしまっては、もはや、無理であろう。議員という職にしがみつかない限り、故郷を石もて追われる事になる。
権力者の末路について、多少なりとも見聞きしていれば、民主党のような体質にはならない。その点、自民党は、失脚した権力者をたくさん輩出し、その末路を同僚・後輩として見てきた分だけ、まだ、聞き分けがあったし、その分だけ、利益誘導を求める地元の選挙民につけこまれる隙があったとも言える。
地盤の私有化という宿痾がある限り、自民党政権の復活はワンポイントリリーフにしかなりえないのだが、民主党よりはマシという、前回の衆議院選挙における自民党よりはマシという理由の裏返しで、今選挙を行うと自民党が圧勝するであろう。
民主党の党内野党は、政界再編の原動力にはなり得ない事が判明したが、総選挙後に発生する自民党の党内野党はどうであろうか。道路族の宏池会に対抗し、地盤の私有化を否定する多選規制や、政治活動の全面可視化といった政治改革をやれるであろうか。国民を味方にするには、国民の中に飛び込まなければならない。選挙区でドブ板をやるのは、選挙区民に飛び込んだだけであり、国民を相手にはしていないという事に気がつかない限り、国会は地域の利権代表の集まりでしかないのである。
道路を作ります、橋を掛けます、農家に補助金をばら撒きますと、約束して回るのがドブ板選挙の本質である。地域に予算を持って来るという約束をして回るには、その財源を確保しなければならない。歳入を上回る歳出が行われるようになったのは、この、ばら撒きをやりすぎた為と言える。税収を超える歳出を繰り返す政治体制は、維持できない。自民党は、政権党として長い間それをやってきたからこそ、変わらなければならなかった。
この危機意識が、自民党全体の共通認識であれば良かったのだが、実際には、この危機意識は上げ潮派(構造改革派)の、それも一部だけという状態にあった。財政再建派は足りない銭は増税で賄えばよいという考え方であるし、積極財政派は、財源が足りないのは景気が悪いからで景気が悪いのは財政出動が足りないからだという主張であり、ばら撒く事が政治だという考え方である。
国家財政の危機に対し、一番危機感が無いのが積極財政派、危機感はあるが、増税で穴埋めしてばら撒き自体は続けるというのが財政再建派、ばら撒きを止め、財政出動をしなくても景気が良くなる方向に社会制度を変更していくというのが、構造改革派であった。
ドブ板選挙をやれば、与党で居続けられるが、ドブ板選挙で与党の地位を得ても、肝心の国家が財政破綻してしまうという認識ができたのが、小泉改革の唯一の功績とも言える。少なくとも、自民党の議員は、ばら撒きの約束をしなくなっていった。そこにつけ込んで行ったのが、民主党の小沢氏である。
田中角栄の劣化コピーである小沢氏は、ばら撒きを公約し、地方の票を根こそぎにしていったのであった。埋蔵金を掘り起こし、無駄を省けばばら撒けると主張し、民主党なら増税も構造改革もせずに昔のばら撒きで潤った時代に戻せると主張し、選挙民はそのドブ板に乗っかったのであった。
今は、そのドブ板が、ひび割れだらけの上にあちこち朽ちていて、いつ割れてもおかしくないボロ板であることが、徐々にばれてきた所と言える。
問題は、民主党がダメである事が共通認識になった時に、では、どうするかという点である。民主党の中で首相のポストをたらいまわしにしても、基本的に無能の烙印を押されて自民党から追い出された人と、自民党の地方議員にすらなれなかった人の集まりであり、首相や閣僚の首を挿げ替えても、まともになるという可能性は皆無である。
ばら撒きを繰り返す体制は、もはや維持できない。民主党はばら撒きを復活させると公約して政権を取ったが、財源が無くて何もできないと白旗を揚げるしかない状態になっている。自民党が、ばら撒きを前提とした選挙運動から脱皮し、財政出動に依存しない政党になれるかどうかというと、現在の党首が財政再建派であることからむずかしい。次の参議院選挙までに、自民党全体が構造改革派に衣替えする可能性は、第三の政党が出てくる可能性と同じくらいに少ないのであった。
自民党に対する批判票が、結果的に民主党を推し上げた。自民党がこの批判を、どのように受け止めているかを観察する必要がある。次の選挙は2010年の参議院選挙であるが、現職のいない選挙区では今回の衆議院選挙で落選した人が復活当選を目指す為に、これまで以上のドブ板を続けるであろう。
現職が居たり、既に候補者が決まっている場合には、その先の衆議院選挙を目指すという展開になる。だが、"古い自民党"を国民は復活させないであろう。
今回落選した人々が、"古い自民党"からどのように脱皮してみせるかを見なければならない。ドブ板に徹し、地盤の私有化を続け、先の事は議員になってから考えるという人が多いようでは、次の参議院選挙は、自民党の息の根を止める審判となるであろう。
前回の参議院選挙、今回の衆議院選挙と、自民党は二連敗を喫しており、次の参議院選挙で負けたら、党勢回復は不可能となる。国民に見放された政党がどのような末路を辿るかは、歴史の教える所である。
"古い自民党"の戦犯も、選挙に強い為に当選している。この人々が、どのように動くのかを見る必要があるが、おそらく、死んだ振りをして、風向きが変わるのを待つであろう。小泉内閣時代を死んだ振りでやり過ごし、安倍内閣の参議院選挙での敗北を期に、直近の民意という錦の御旗を失った自民党が300議席を振り回すのはいかがなものかと言い続け、それでも300議席を振り回さなければならない為に、結果的に冷や飯食い達に権力を戻す羽目になり、最終的には麻生内閣を成立させてばら撒きを復活させたように、向かい風の時期にはおとなしくしているというしたたかさがあるからこそ、領袖・長老という立場にまで登れたとも言える。
彼ら長老議員はコップの中の権力闘争の達人であり、そういう人々が政治を私有化し続けたゆえに自民党は大敗し、反省をどのように示すかが求められているのだが、反省を示すくらいならば、それを庶民が忘れるまで死んだ振りをしてすごした方が良いという考え方をするであろう。人間の性根というのは簡単には変わらないものだ。
民主党は政権を獲得するが、自民党への批判票に支えられているという事を忘れた瞬間に、政権支持率は暴落を始める。国民は民主党のマニフェストや公約を支持しているわけではない。反自民だけの理由で民主党に入れた高齢者層から、大丈夫かもしれないと信用されるかどうかが当面のハードルとなる。