2024-08-31

オーバーウォッチは偉大なゲームであった。

FPSの枠組みで思いつく限りのギミック

念密なテストプレイによる調整。

コミュニティの発展。

しかし、これほどのゲームですら不満は残ってしまう。

オーバーウォッチキャッチコピーは「世界ヒーローを求めている」だった。

だが、オーバーウォッチヒーローなど求めていないのだ。

ロールを分けてチームワーク性を高める設計は、不完全なキャラクター強制されるともいえる。

不完全なキャラクターは単体で戦うことを許されず、不完全なキャラクター同士で相互補完し合うことで、初めて戦いの土俵に立てる。

こうした場において求められるのは英雄ではなく兵卒である

超人的な反射神経、無双射撃精度、天才的ひらめき、そういった英雄譚が日の目を浴びることはない。

役割に従い、歩調を合わせ、テンプレートに沿って働くことばかりが賞賛され、気づけば戦いは終わっている。

オーバーウォッチの対戦シーンは個人技ではなく集団戦として語られるようになる。

北朝鮮マスゲームと同じである

そこに自由はなかった。

自由希求するゲーマーたちの気質に、この偉大なるゲームは真っ向から反抗したのである

オーバーウォッチヒーローなど求めていないのだ。

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