2024-08-11

僕たちが親から最初に教えてもらうことは「使役すること」だ

泣くことしか出来ない赤子の頃から

自分が出来る精一杯のコミュニケーションで、

自分より能力の高い人間を「使役すること」を学ぶのだ

そして、どこからどこまで他人を「使役すること」が可能なのかを教えるのが躾だ

正しい躾をされた人間は、正しい距離感で、

自分りある分野で自分より能力が高い人間を「使役し」、自分他人より高い能力を持つ分野で「使役される」ことを

繰り返し選択して、生活を、進化を進めていくのだろう。

正しくない躾をされた人間は、どこまで他人使役することが可能なのかわからず、

人より人を「使役できない」と思い込んだ人間はひとり、人に頼めばいいことを抱え、苦労やストレスを持ち続けて、

人より人を「使役できる」と思い込んだ人間は、自分使役を断る人間理解できず、自分困惑しながら暴れて。

児童養護施設で育った自分は、こんな友人(とは言えない希薄関係の、他人よりは近い"他の利用者”)を、

毎日見ては、施設の中でも他人自分を傷つけながらすり減って生きていく子供を見ては、

どうして僕だけがみんなと違って孤独で苦しいのかをずっと考えていた。

この世界は人が人を使役しあって、欠けた部分をぶつかりながらも補い合って、相互しあって生きているのか。

距離感の前に、それすら気付いていなかった。だからこそ人の過ちを許したり、自分と違うところを許容できるのか。

はたとそれに気付いたのは、地元から離れた土地友達もいなくてひとりのお盆休み、27歳だった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん