そして、どこからどこまで他人を「使役すること」が可能なのかを教えるのが躾だ
自分よりある分野で自分より能力が高い人間を「使役し」、自分が他人より高い能力を持つ分野で「使役される」ことを
正しくない躾をされた人間は、どこまで他人を使役することが可能なのかわからず、
人より人を「使役できない」と思い込んだ人間はひとり、人に頼めばいいことを抱え、苦労やストレスを持ち続けて、
人より人を「使役できる」と思い込んだ人間は、自分の使役を断る人間が理解できず、自分も困惑しながら暴れて。
児童養護施設で育った自分は、こんな友人(とは言えない希薄な関係の、他人よりは近い"他の利用者”)を、
毎日見ては、施設の中でも他人や自分を傷つけながらすり減って生きていく子供を見ては、
どうして僕だけがみんなと違って孤独で苦しいのかをずっと考えていた。
この世界は人が人を使役しあって、欠けた部分をぶつかりながらも補い合って、相互しあって生きているのか。