感情なくして目的を設定するなんて事はありえないし、方法論の議論ならともかくとして定言的な発言に「お気持ち」が伴わないなんて事があり得る訳もないだろうけど、それをやたらと嫌う人ってのは何なのか。
人間は共同体に埋め込まれ、その中での他者奉仕のみによって価値を見出すべきであり、そこに疑問を挟む余地などない。
あるいは神かそれに類する存在から賜った義務に沿った行動だけが常に正当な目的であり、これを疑うものは許されない。
いずれにしても個人的・自己完結的な快楽など全て紛い物の下劣な価値であって、断じて認めねえという「思想が強い」人なのか。
単に事実の規範の区別がついてないだけなのか。
もっとシンプルに性格が悪いのか。その両方なのか。
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