推敲したうえでこれなんだよ。数学って問題によってはベクトルで解くとか複素数で解くとか複数の解き方があることあるけど、これを文章の書き方に当てはめた場合それ以上わかりやすいもう一つ以上の解き方(書き方)が浮かばない感じかな。
「受け取り手の立場に立つのが難しいからではないか」と書いてあるのがあったが、そもそも受け手の立場を想像するといっても別人の人格をインストールするようなことはできないだろ。
あくまで「自分が受け手になったときこの文章はわかりやすいか」という角度で、いわば客観的といっても疑似的な意味でしか推敲することってできないわけだ(そばに人いるなら別だがね)。
そして自分が受け手になったときを考えても自分の文章は普通に読めてしまう。何日とか寝かせて見直すと文章の粗がわかってくるとかいうがそれもダメ。普通に読みやすく読めてしまう。
というかさっき但し書きで他人がいるならとか書いたが、他人の推敲が逆に読みづらく感じるまである。普通の人にとってはその方が読みやすくなってるはずなんだろうが、俺にはよみにくい。
それでなんで普通の人でも口頭なら意味が違くてもイントネーションしか変えず言ってることは同じ表現をするのに、文章だと普通の人なら書き分けられるんだろう? もっとも基本的な...
ワイもハッタショやけど不思議なのは口頭だとなぜか悪文でもちゃんと伝わることの方で、 文章だと書き分けるのは文章だと伝わらないことを経験的に知っているからでしかないや
伝わらないと経験的に知ってるところで文章が改善されるわけじゃないじゃん? そりゃ文章作法書とまったく同じ例文を使う機会があったらそれだけはちゃんと書けるようになるかもだ...
それは単に推敲の習慣がないだけやないの わかりにくい文章はハッタショにとってもわかりにくいわけやし ワイは自分で書いた文は一度読み返してみて、「これわかりにくいな」と感じ...
推敲したうえでこれなんだよ。数学って問題によってはベクトルで解くとか複素数で解くとか複数の解き方があることあるけど、これを文章の書き方に当てはめた場合それ以上わかりや...
文章を読むとき誰かの声を脳内再生して読んでるから、話すときの言葉通りの順序で書かれたものの方が下手に推敲されて文章媒体に適合された表現より読みやすいというのはあるかも
自分はむしろ脳内再生するからこそ音声に変換するとき「発音を一意的に解決できません」って脳がコンパイルエラー上げてきて悪文に気づく感じだなあ
彼は泣きながら家を出た彼女を追いかけた。 泣いてるのが彼女の場合 泣き→ながら↓ 泣いてるのが彼の場合 泣き↑ながら→ と確かに発音を一意に決定できないが 元増田の文は単...
イントネーションで意味のかかりかたや区切りを表示してるからでしょ