この前提があるせいで差別の基準をずらす謎のバトルが終わらないのではないか
そもそも差別の定義自体が割りとあやふやでみんな解釈に差があるのに、それを絶対に良くないものとして扱うことに無理がある気がしている
俺は中学生がマクドナルドを利用するのを禁止するのは差別だと思うし、入れ墨が入ってる人が温泉に入れないのも差別だと思うし、賢いと給料がいっぱいもらえる、みたいなものも差別だと思っている
が、運用上当面致し方ない差別というのはあるよね、というスタンスなので差別は差別なんだけどとりあえずしょうがない、みたいなものがあるのはまあそうだよね、くらいの気持ちでいる
俺も昔あまり馴染みのない属性の人にカツアゲされたときに、その属性だけである人達を判断しないように努力するのはなかなか大変だったし
当然各ケースに対する議論は常にあるべきだと思うんだけど、差別だから絶対によくない、という前提は話をややこしくするしまともな議論を阻害するところがある気がしている
自分の属性によって困っている人たちがいるケースでどうすればみんな幸せになれるのか、くらいのテーマで考えるのが良いのではないか