先日上司が自宅に現れた大きな蜘蛛にびっくりして殺虫剤をかけて殺したという話をしていた。
話を聞いているかぎり、長い足をもった茶色のそれはアシダカグモで間違いないだろう。
その蜘蛛が益虫であることは知っているが、怖いし気持ち悪いから殺したということのようだ。
「それはびっくりしましたね」「怖かったでしょう」と蜘蛛を殺したことに共感してもらいたくて話しているようだった。
上司は仕事のできる人で部下から慕われる人格者であり、私も尊敬もしていたので、「大変でしたね」と弱めの共感を示すだけにとどめた。
私はアシダカグモに殺虫剤をかけるような人間が大嫌いだったからだ。
気持ち悪いというだけで害もない生き物の命を躊躇なく奪える人に嫌悪感を覚えてしまう。
その気持ち悪いから排除しようという感情は虫だけに向かうものなのだろうかと疑いたくなってしまう。
蜘蛛が嫌いなひとはこういうだろう。
「害がない?とんでもない。私を怖がらせているだけで極めて有害ですよ」と。
これは虫のことであって虫以外のことに話を広げるのは適切ではないのかもしれないけれど、
蜘蛛を殺す人のように私にも気持ち悪いと思うものはたくさんあるが、実害のないものにまで攻撃を加えるようなことはしない。
罪なきものが気持ち悪いだけで排除されることを肯定してしまっては、
私もまたどこかの誰かの”気持ち悪い”によって排除されてしまうことを、受け入れざる得なくなってしまうからだ。
どうかこの世界に本当の寛容を。
じゃあそういう人の存在も受け入れろ。 自分が気に食わないからって増田で攻撃するなよ卑怯者。 お前がやってる気に食わない上司を増田で攻撃するのは蜘蛛が不快で殺虫剤かけるのと...
上司個人の考えを排除しない世の中になりますように
でもパーソナルスペース内に理解不能な生き物がいるというストレスは耐えがたいんだよね 「何してくるか想像できない相手」が傍にいるという恐怖は本能の領域だ 私は虫全般が嫌いだ...