日本人は「論理」を数学の論述のイメージでしか捉えてないから。
数学以外の普通の価値判断で、「論理的に導いたから絶対に正しい」なんて答えは出てこない。
日常的な意味で言う「論理的」は「科学的」と同じで、「絶対に正しい」ではなく「正しいかどうか客観的に判断できる」でしかない。
そのために必要なのは、ただ「論点を整理する」ことでしかないのに、無理に「証明」しようとして、絶対的でない根拠から絶対的な結論を強弁するばかりになる。
「自分がそう思う理由(この理由が否定されたら考えを変えます)」という論点を示して、後は相手の判断に任せるのが「論理的」です。
その特徴をハックしてるのがおいらです
縦横軸の分割整理が得意かどうかは結局組織構造から文書構造まで全部に効きすぎる
主観を客観的に説明できないのに
これについてるトラバがことごとく「そもそも日本語読めてる?」なのばかりで、論理以前の問題だなあと思うなど