件の講師はこの言葉を笑いながら何度も繰り返し、受講生からも笑い声が上がったという。
なぜこの言葉が面白く響いたのか?どのようにすればこの言葉を面白がれるのか?
俺は講師も受講生も知らないから、結局は俺自身がどう面白がれるかという話になるのだが。
根っこにあるのは他者を蹂躙したいという欲望じゃないだろうか。
子供のころに草むらで捕まえてきたカエルの腕をちょん切って遊んだ覚えがある。痙攣するカエルを見て友人と笑いあった。ノーリスクで他者を破壊するのはシンプルに楽しい。もちろん友人の腕をちょん切ったりはしない。自分の腕をちょん切らせもしない。それは面白くない。「生娘」を同じ人間として見ていないから面白がれる。
一人でちょん切っても面白くなかっただろう。一個の生命を残酷にもてあそんでいるという立場を仲間と共有するのが楽しかった。
ひとりの人間をクスリ漬けにして食い物にするという行為は、言葉の上だけの話とはいえカエルを惨殺するよりもずっと陰惨で、だからその陰惨さを一緒に楽しめる俺達は仲間だよね?さあ声を上げて笑おう。そしてこの集団にコミットするんだ。
そういうことじゃなかったのだろうか。
シャブ漬けほど下品じゃなくても、似たようなジメジメした仄暗いなにかを共有させて仲間意識を育むという手管は何度か見たことがある。
急に吐き気がしてきたのでここで終わり。